大島町6丁目では、9月2日夜までに、その宿舎に在郷軍人、消防、青年団、日本人同業労働者で組織された集団などが来て一同を門外に呼び出し、人員点呼、人数確認、人数が増減してはいけないという通知、所持金等財産確認をします。時を同じくして近隣住民には9月3日朝は、日本人は外出するなとの通知が出ます。
9月3日午前8時、剣付鉄砲の兵士2名が大島町6丁目の中国人宿舎に来て中国人労働者達を8丁目の広場に引き立てて行きます。大勢の民衆が一行を取り囲んでいくのを近所の主婦たちが目撃しています。その広場で中国人は日本軍・警官・民衆によって殺されます。
虐殺は朝から始まり、一番酷かったのは昼頃と午後三時過ぎだったようです。
1923年関東大震災が発生するのですが、当時17,000人程度の在留中国人がいて、そのうち7000人程度が労働者で、半数の3500人程度が東京・神奈川に在留し、また、17,000人のうち、5,700人程度が横浜で生活していたと言われています。
江東区大島(当時の大島町)には千数百人の主に陸揚げや運搬の力仕事をしていた温州出身の中国人労働者が町内に六十数軒あった中国人労働者の宿舎等に住んでいました。地震発生後被災した中国人は同じ町内の被害が軽微な地域の宿舎に避難などしたようです。
中国人労働者は多くの場合、日本人親方の下で働き、日本人経営の宿舎で生活していました。日本人女性のパートナーが出来る場合もあったようです。中国人労働者とともに日本人の親方が殺されたという証言も、複数の女性が腹を裂かれ、胎児を引き出され、陰部に竹槍を刺され殺されていた証言もあります。
進開橋付近では欄干に縛られた中国服の人物が取り囲む民衆に殴打され血まみれになっていて最終的には軍人に斬られ橋から投げ落とされたという証言や、路上に縛られ血まみれの中国服の人物の横に軍人が立ち銃剣を突き刺しているところに群衆が更に棒等で殴打していたという証言もあります。
砂町付近でも路上で複数の中国人が殺された事が中国側の調査で判明しています。
大島町全体で500名以上が殺され、宿舎にはなにも残っていなかったそうです。
『(横浜の海岸に上陸)岸に上がると十七八名の国粋会員が長刀を突付けた。「もう殺されるのだ」
と覚悟を極め荷物を捨て手を上げた。「貴様は日本人か」と云う「日本人である」と答へると
「大阪から来たなら社会主義者ではないか」…「こんな戦場に飛び込んでくる奴があるか」1
丁ほど進むと道端には 見るもむごたらしい死様をした死骸が五つ六つごろごろ転がってゐ
る。…陸戦隊は右往左往して秩序維持に努め三日夜までに既に六百人の○○を○○し○○○○
○もドンドンされた,言葉付きや顔が似たという許りで○○された者も大分多い…横浜を1町
毎に誰何されつつ東海道にでた記者は徒歩で東京に行くことに決心し騎馬兵が駈け散らして行
く街路を1歩宛進んだ 警戒が厳重で道路1町毎に青年団消防隊国粋会員などが長刀短銃と槍
を提げて関所を設けて居る 東神奈川に着くと三名の○○が騎兵隊に追いまくられて道路に飛
び出したので忽ち○されてしまった。…』(「大阪時事新報」1923.9.6 監澤元治記)
関東大震災時の横浜にも、9月3日午後2時40分には習志野の騎兵15連隊が到着しているようです。
この騎兵15連隊は横浜・東神奈川でも朝鮮人を虐殺したとされています。
子どもが金魚掬いで持ち帰った金魚を飼って一年たった。この一年毎週欠かさず水槽の掃除と水換えしてたと思うとすごいな。そしてこの金魚が生きてる限りずっと続くのだな・・
朝日は何も言及していないが、大学構内に遺構があるこの習志野騎兵聯隊は、関東大震災時に最も多くの中国、朝鮮の方々を殺傷した聯隊でいいでしょう。そこに深く言及しない司馬遼太郎も罪が深い。
虐殺当事者として、日大、東邦大学は明治大学の登戸のように後世に記録を残すべき。
https://www.asahi.com/articles/ASQBV77D5QBNUDCB00P.html
QT: https://fedibird.com/@knappertsbuch/113062198841810832 [参照]
朝日は何も言及していないが、大学構内に遺構があるこの習志野騎兵聯隊は、関東大震災時に最も多くの中国、朝鮮の方々を殺傷した聯隊でいいでしょう。そこに深く言及しない司馬遼太郎も罪が深い。
虐殺当事者として、日大、東邦大学は明治大学の登戸のように後世に記録を残すべき。
https://www.asahi.com/articles/ASQBV77D5QBNUDCB00P.html
QT: https://fedibird.com/@knappertsbuch/113062198841810832 [参照]
これで都知事が追悼しないとか、理解を超える。人としての情、歴史的認識、反省が欠如しているとしか。
そんな人喜んで都民は選んだんだぜ。
歴史の健忘は自らの破滅に必ず繋がる。
QT: https://fedibird.com/@knappertsbuch/113062161889384241 [参照]
ここでも繰り返し批判している山口二郎氏が「立憲民主党の代表選挙について、リベラル派市民が野田さんを嫌悪する事情も分かるけど、今の日本でリベラル派は少数でしかないことを理解すべき。そのうえで、政権交代を起こすために中道保守と提携するか、尖ったことを言い続けるリベラルでいたいかを選択すべき」と言っている。
これぞ「ザ・エキセン」という所だろう。その意味ではご本人「尖ってはいる」。
そもそも山口二郎は小選挙区制の「改革派」論客として旗を振ったわけだから、そもそも公論で説教できる、ということがおかしい。
それはそれとして、現在の東大・京大の政治学者は頭から「左派」を排除して思考するように訓練されているから、「リベラルは少数」という安直な結論に到達する。
実際、現在政治学で「左派」と見られるとまず大学のポストはない。
しかし、現実の政治では人口の大多数がこの30年で生活水準が大幅に低下。現在、物価上昇でついに限界に直面し、漠然としてであはあれ「世直し」願望は渦巻いている。
であるから、大企業と富裕層に負担を求める「リベラル左派」を結集できれば、むしろ「多数」になる。
これをさせまいとして永田町、マスコミ、提灯学者、メディア文化人が、何が何でもリベラルと左派を分断せんと言う所だろう。
A qualified Psychiatrist, working in Tokyo.
love classical music, trout fishing and nature.
Never War.