関東大震災時における中国、朝鮮の方々を虐殺した事実は、東京の西と東を毎日往復する自分には極めてリアルな日常。
二子玉川の河川敷では、多くの方々が突然習志野の騎兵連隊による機銃掃射で生命を断たれた。
横浜方面から虐殺を逃れようと、駒沢あたりでは多くの方々が涙ながらに多摩川を渡ってきた。
三軒茶屋でも虐殺は行われた。
現在江東区に至っては更に悲惨で、大島町付近では主に数百人の中国籍の方々が惨殺されて野晒しにされた。この過程で同胞保護に活動した王希天さんが旧中川で背後から日本刀で惨殺。現在小松川付近の首都高の真下。
荒川の更に上流の四つ木付近では言語に絶する殺戮、機銃掃射で数百の方々が犠牲に。
東京に暮らす限り、事件の現在は身近な至るところに。なかったことには出来まい。
自分が出来ることは忘却に抗して追善の祈念と、2度とこのような蛮行が行われないように自分なりに働きかけること。
軍も警察も内務省の官僚もメディアも虐殺が広範に行われるように加担した。それに便乗して大杉事件や亀戸事件なども起きた。
大杉事件の甘粕は後年日本の満州支配人絶大な影響を与えた人物。治安維持法も国家を崩壊させたのに大きな影響がある。
日本が道を誤った満州事件の前に、この段階で国会破滅に至る萌芽があった。
目を背けるのは愚でしかないかと。
@knappertsbuch wish I knew Japanese.
国家を壊滅