カレーうどんとカレー南蛮の違いがうまく答えられない、、、
QT: https://misskey.io/notes/9qyhbpsgkywf018f [参照]
ウンコ‼️《運航》
QT: https://misskey.io/notes/9qyfg16lfz0002o2 [参照]
キリン。成田悠輔を取り下げたら別の問題が出てきた🤢
成田悠輔さん『氷結無糖』広告、キリン取り下げも… 以前のCMに出演したラッパーにも飛び火 「彼らの過去発言知らないはずない」の声
https://www.chunichi.co.jp/article/869404
情弱なのか分からないが、誰一人「これ、マズくないですか?」と言う人は居なかったのだろうか? それとも、言える環境ではないのか?
『「成田悠輔はアウトだけど呂布カルマはセーフだろ。ここの線引きはかなり重要だと思うんだが」という指摘もある。』(本文より)という謎の両論併記があるが、呂布カルマも完全にアウトだよ!💢
BT)した川瀬貴也先生の投稿で、「思想が強い」というネットスラングがあることをはじめて知った。
しかし、これを読むと「思想が強い」の発話者はどうも、「統治権力に従順」で政治権力を批判する人には「肩をすくめ合って」いる「右翼」ということのようだ。
川瀬先生がここで言及している「反維新、反原発、反差別」などは「強い思想」がなくても、人としての「常識」があれば、当然のこと。
この発話者達はまだ大学の先生に対しては「思想が強い」というやや中和的な言葉を使っているけれども、同級生に対しては、もっと右派的な態度を露骨にとっているだろう。
ま、こういう「弱きを挫き、強きに媚びる」人間、若くてもいつの時代にもいるものである。
しかしそうでない学生もいる。
むしろ多数派だといってもいい。ただ、そういう学生は「思想が強くない」ので、右派学生の「声の大きさ」に圧倒され、萎縮することになりがちである。
であるから、川瀬先生が「思想の強い」態度を示すのは、「公共的」に大きな意味をもっている。とても立派なことだと思う。
それにしても、「思想が強い」と他人を貶める態度は、要するに権力者に「媚びる」、伝統的な「日本の無思想」の反復としか感じないのは私だけだろうか?
[参照]
BTした三春さんの世論調査によれば、急速に落下する与党支持率と野党支持率が拮抗しはじめている、とのこと。
さらに興味深いのは、立憲・共産・れいわ・社民を野党A、維新、国民、前原を野党Bとすると、野党Aが伸び、野党Bが低下しているという。これも万博を巡る報道などを考えればある意味当然のことであろう。
日本のメディアは自民党の大きな不祥事があるとしばらくこれを批判し、ある程度すると「野党もだらしない」という言説戦略を採用してきた。
このこともあり、ーすべてではないがー社会党時代から、ほぼ自民党支配が延々と続いてきた。
「常識」からは考えられない安部派・自民党の度を超えた現在の腐敗ぶりなどは、この一党支配の「行きついた」末。
ただし、三春さんの世論調査では現在全国レベル平均でも、無党派が43%前後で自民党を20%上回っている。
これは地域差があるから、元来無党派1位の東京の衆院1人区では公明党・創価学会の支援を受けたとしても自民党は壊滅する、ということになる。
さて予算案成立後、通常国会閉会、夏の自民党総裁選までの間に岸田の選択はかなり限られてくる。
非維新の野党は、次の総選挙で与野党逆転を視野にいれた政策協定と候補者調整に、今日にでも入るべきだろう。
ヤルヴィのメンデルスゾーンなんて素敵なものがあったんね。
https://music.apple.com/jp/album/a-midsummer-nights-dream-op-61-overture/1727368133?i=1727368135
On the way to a park trail walk, I couldn't resist but stop at the lake to get some dawn shots.
George H. Sparks Reservoir in GA, USA
#park #lake #photography #landscape #FujiFilm
オイリアンテ序曲、
ベートーヴェンピアノコンチェルト3番、
ブラームス交響曲3番、
と贅沢過ぎ。クナッパーツブッシュ、バックハウス。
https://music.apple.com/jp/album/euryanthe-op-81-j-291-overture-live/1246297202?i=1246297526
BT
北海道恵庭市の牧場が、45年間、知的障害のある方3人を水道もないプレハブに居住させ、ほぼ奴隷のように無報酬で働かせて、彼らの障害者年金まで横領していたという事件。
この牧場主(4年前に死去)は、恵庭市の市議を5期務め、市議会の議長までしていた人物。
調べると、「日本会議」の「恵庭支部」支部長もしています。
本当にとんでもない事件ですが、この牧場主の息子は裁判で「本当に彼らにとって我が家での生活をしていたことが毎年つらかったのか疑問に思っております」とか言っているということなので、「温情をもって接してあげた」つもりなのでしょう。
なんか、自民党の地元名士みたいな市議の家がこういうことをしていたというのが、もう、なんと言えばいいのか言葉を失います。
やはり、彼らにとっての「家」というのは、頼れる人のいない弱者を「我が家」に住まわせて無報酬で自分たちに奉仕させてあげるところということなのでしょう。 [参照]
この時期は女王バチかもですね。
QT: https://mastodon-japan.net/@gishio/112104133593964326 [参照]
20年前、自治医大は「4年生でCV(中心静脈カテーテル)入れられる」という伝説があって、みんな信じていた。
最近むやみに「グローバル」とか言って英語を公用語にしたり留学させたりしますが、すべての大学が「グローバル」の価値を追い求めるべきという傾向には首をかしげざるを得ません。
国立大学は、日本の社会を内側から支える人材を育成することがまず第一の目的なのではないかと思います。
国家公務員は当然のこと、地方公務員や教育、医療など、各分野での「知識人」を育てるための総合大学であることがまず大前提であり、そういうことを忘れてグローバルとか大学発ベンチャーとかの方が価値があると考えてしまうのは本末転倒でしょう。
1980年代のフランスではWWII中のホロコーストと反ユダヤ主義の包括的な関係について、注目が集まり、その関連で「歴史の記憶」論なども活性化した。
C.ランズマンの「ショアー」(1985)などが大きな反響を呼んだのもその文脈である。また哲学界ではリトアニアのアシュケナージである、E.レヴィナス(1906生)への再評価が急激に高まった。
レヴィナスの哲学の中心概念は「他者」と「倫理」であり、この点、デリダはともかく、ドゥルーズ=ガタリやフーコーとは完全に立場を異にする。
日本では80年のポストモダニズムの後、レヴィナスが導入されたので、90年代のポストモダニズム少年(「俺偉い」の男子中2病の群れ)は、これに激しく反発。
浅田彰もこの中2病の集団を支援し、「レヴィナスの顔(他者の隠喩)なんて、殴っちゃえばわからなくなるからね」なとど煽っていた。
レヴィナスの哲学はフッサール、ハイデガーの影響が強いこともあり、サルトル研究者にとっては必読だが、如何せん「政治」の次元が抜け落ちているのが弱点。
いずれにしても、レヴィナスのを援用すれば、今のイスラエルにとっての「他者」とは「餓死していくパレスティナの子供」になる。
90年代の日本にとっては「従軍慰安婦」の人々がまさに「他者」だった。
A qualified Psychiatrist, working in Tokyo.
love classical music, trout fishing and nature.
Never War.