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魔女の救済編41話の話していい? いいよ! ほかのかたの感想を見て思ったんですが、アザリーが女の名前をずらずら挙げていった最後にサルアの名前が出てくるとなるほどそういう文脈が。
というかあのシリーズの「ゲストヒロイン」は「主人公が旅の途中で偶然出会い、抱えているトラブルを解決してやる相手」と定義できるわけでサルア君はその資格を十分満たしているわけですよええ。
にしてもここでのサルアは「やり直した結果出会わなかった」のか「出会っているがなかったことになっている」のか……。アザリーのボリーさんっぽい挙動といい、友人を喪失しているニュアンスといい、「鋏」を思わせる今回。

盛り上げの一助になればと「魔女の救済編」の話題はTwitterで書く→先読みしたときの感想がネタバレになるなとfedibirdに書いて個別URLをTwitterに投稿する
ううむ、なかなかの本末転倒。

忘れる云々からして、魔女の救済編でサルア君が出ないのは魔王術で消去されており、アザリーが死ぬかなにかで消去がなかったことになる、まで妄想した。

fedibirdのほうを見ている人はそんなにいないだろうと、たまにここをふせったー代わりに使っているが、ひょっとしたらここを見ている人もいるかもしれない。その場合は、すみません。

コインで読んだよ魔女の救済編41話。
・??????
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・????????????
・ヒキがこれということはメッチェンも出なさそうな。
・原作よりウオール教師の目的が具体的に。
・サルア君消滅してんじゃないのこれ。
・原作ではわざわざアザリーに「完全に名前を忘れた」とかいわれてたけどちゃんと個人として認識されてるよ!出世してるよ!
・というか主人公はおろかその姉にまで友人認定されてるのでは?これはやはり出世なのでは?

youtube.com/watch?v=g_1zdSFIeC

youtube.com/watch?v=ZGojUIeRor

「フルタの方程式」のプロ野球再編問題の回を見た。当時の世論は選手会を支持、つまり「球団数を12で維持、ストライキ決行」を支持したそうだが、現代だと選手へのバッシングが苛烈になりそうだな……と思ってしまった。
ちなみにわたしはこのころ全く野球に興味がなく、「近鉄バファローズがなくなる? 赤字経営ならそうなるんじゃないの」「ファンの皆さんにご迷惑? ストライキって要求通すためにするものなのにどういう理屈?」とか思ってたような気がする。

予断がすぎるなと思ったので投稿をひとつ削除。
この一週間、台風の準備をしようとしたら自分自身でもびっくりするほど体力が残っておらず(たぶん暑さのせい)、ちょっと何かをしたらバタリ、ちょっと何かをしたらバタリというあんばいだったのに、台風の動きがあまりに遅いのでそれでも間に合った。
とはいえ最接近したはずのきょうでさえ雨風ともにたいしたことはなく、ニュースを見ながら各地の被害の大きさに変な話だがやや申し訳のなさを覚える。

「きょうニュースで言うてたんやけど、紀伊半島に引っかかって消滅するまで近畿地方に停滞するかもしれへんのやて」「嫌すぎるー!」という会話をした。

思いがけないといえば、スマートフォンがAndroid13にアップデートされた。三、四年前の機種だしもうアップデートはかからないと思っていたので意外だった。

きのう、「最低でも二週間、米抜きでどうやって食事をもたせよう。しかも台風も来るから物流の乱れや停電も勘定に入れねばならん」と考えていたら、お米が家にやって来た。なんか「え、そこにあったの?」というところで買えたそうだ。僥倖。
巷では米の在庫不足の理由は、報道機関やネットメディアの影響で不安に駆られたからとか、災害への備蓄とか、時期が収穫直前でタイミングも悪かったとか、そういうことになっているらしい。推測として誤っているとは思わんし、この状況は様々な要因から生じたものだと思う。が、農林水産省のコメントや呼びかけを見ていると呑気すぎやしないかとは思う。根本的に農政のほうはどうなんや?

たぶんどうがんばっても最短で2週間くらいは米なしになると思う。「お米がない」という状況を想像するとかなり不安感があるのは、「米飯プラスおかず」という形式がしみついているからだろうか。

台風10号が2018年の台風21号と同じような規模、よく似た進路(かも)と言われて「ヤダー!」ってなってる。
室戸岬のほうから来るとヤバいと当時のニュースで言ってたので、予想進路見ながらぐねぐねしていたら案の定。
こっちに来なくてもどこかしら別の地域が被害を受けるんだがそれはそれとしてヤダー!!

高校生のスポーツ大会で韓国/朝鮮語の校歌が歌われるというシチュエーションは、「多様性」などよりかは帝国主義のなごりを感じさせる。

「虎に翼」はおそらく尊属殺違憲判決のきっかけとなった事件を扱うのだろうが、ひょっとして山田の姉が自身の娘を助けようと弁護士となった妹のもとにかけこんでくる、みたいな展開をやるんじゃないだろうなという危惧がある。

「好きな芸能人は?」と聞かれたとき、中川大志は重宝している。知名度があり、わたし自身かっこいいと思っているのは事実だからだ。その程度の好感度のはずが、ゴールデンカムイに出演すると聞くと結構「ウッ」という感情が湧いて出た。
好きではない(という言い方でいいのだろうか?)登場人物だからなおさらそう感じたのかもしれない。
あの漫画の登場人物で好きも嫌いもないのだが、鯉登少尉については「過去と戦争に囚われた鶴見中尉たち」と対比される「未来へ進む若者」のポジションになったあたりから、作者の戦争及び日本軍に対する認識が反映されたキャラクターとわたしの目には映り、キャラクター性どうこうよりも「作品の欠点」が凝縮した登場人物だと認識している。

否応なしに抑圧する側、ときには加害する側に置かれるマジョリティは、批判できているかどうかを常に問うていく立場ではないのか。

「虎に翼」に限ったことではないが、マイノリティが被る社会的不均衡をフィクションにおいて取り上げる際、マジョリティの受け手が「差別をちゃんと批判している」とか「配慮している」とかましてや「素晴らしい描写だ」と称賛するのは本当に的を得た評価か? マジョリティが「わたしは差別していない」と安心したいだけでは?

たとえば「虎の翼」への肯定的評価で「男性を一方的な加害者として描くのを避けている。差別は構造が生むものだからだ」てなニュアンスのものがある。これを妥当だとわたしが認識するのは、家父長制が女性(一般的な意味での)を社会の劣位に置く一方、セクシズムは男性もまた強力に抑圧するものであるからだ。加害と被害の二項対立を描くのに留まってしまえば、ミサンドリーの再生産になりかねない。セクシズムの解体には、構造を解き明かし、批判が必要だし、また本作のようなフィクションには道を示す効能がある。
では植民地主義、帝国主義はどうか? それらは(旧)宗主国の人間を抑圧するか? セクシズムと同じやりかたでは批判は無理だとわたしは考えている。

「南京大虐殺を忘れるな。慰安婦を忘れるな。彼女らは戦時の性奴隷だった。731部隊を忘れるな」というのが「不適切発言」だというなら、「NHKの歴史修正主義とプロフェッショナルではない業務に抗議します」は正当な評価と言えるのでは。
mainichi.jp/articles/20240822/

摂津市のダイキン工場が原因のPFAS汚染、検査の結果周辺住民はもちろんのこと、上流地域の住民からも高い濃度が検出されたのはまあそうやろうなと思ってはいた。記事にもあるように、汚染源の特定はごく一部だろうから。
にしても、環境省担当者の発言「検査したからといって何か対処ができるわけではない。地域の汚染状況を知るなら、環境中の濃度を測ったほうがよい」は、寝ぼけたことをという感想になる。そんなんだから大阪府も「PFASの血中濃度について国の基準がない。国の動きを注視する」と逃げ回るのを許している格好だ。
tokyo-np.co.jp/article/348862

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