優れた作家は自分のことを、たとえばただの音楽を演る娼婦だとか、ただの職人に過ぎないとか、大したもんじゃないさ的に言うことが多い。
それは今まで、実るほど頭を垂れる稲穂かなというか、常に謙遜して研鑽できるから一流なんだ、すごいなあぐらいの意味で理解していたのだが、最近、これは少し誤解のある理解だと気づいた。
たとえば虚栄心とか、名誉欲とか、親のトラウマからの心の病、強欲、浅い反抗心だとか、そうした余計なことというか煩悩というか、浅はかで愚かな行動パターンや欲求を人間は皆、ふつう抱えているものなのだ。
すごい人というのはさぞ自分にはない素晴らしい素養を装備しているものと思っていたけど、考え方が逆で、自分らが抱えている余計なものを沢山捨てられるからスゴく、一流なのだ。
そんな人はめったにいないのだ。
だから一流の人、本当にすごい人は、どことなく静謐で飄々として、落ち着きがあり、時にとらえどころがなく、時にドッシリと構えたムードがある。
常人にないものをたくさん持っているのではなく、常人が抱えているものを限りなく多く捨てられているのがスゴイ人なのだ。
などとこのインタビューを読んでいて思ったりした。
ヨウジヤマモト×リックオウエンスの対談インタビュー。
https://system-magazine.com/issues/issue-14/the-master-yohji-yamamoto
海外ツアーをしていると心底実感する、日本の物価のバグじみた安さ
https://sekai-hub.com/posts/big-mac-index-2024-01
https://www.youtube.com/watch?si=Cepe0HrLSv8uBc8P&v=yFgHnTVsZqQ&feature=youtu.be
こちらも傑作サビメロ これを意図して出せるようになりたいと思う
メロディを黄菊しーくさんが作って、俺が編曲をやるという流れで作ってるんだけど、俺単独からは決して出てこない俺屈指の傑作サビメロだと思う
https://www.youtube.com/watch?si=skNMO5m5VUb2Dkc3&v=iPKj7ck4XQI&feature=youtu.be
型を治めてから崩せというのは、効率的な練習手順や自己啓発的なスローガンなどというレベル感の話しではなく、それが美の本質の一面を示すからなんだよな。美が相対的なものであるから。
美の基準が流行る→みんながやる→みんな飽きてくる→それを崩したものに新鮮味を感じる→流行るというのが美なのであって、
クオリティが高くても型どおりだとつまらないし、型を感じられないと比較対象が行方不明だから相対化できずに美が成立しないのだ。
だからたとえば、美術館などで古の美術を楽しむときは「当時の何と相対化されたのか」がわかると楽しみが増えるので予備知識やキャプションがあるのだし、
ファッションにおいては型通りのテーラードスーツを崩したものがおしゃれさんの一例になるのだし、
作曲においては定番のコード進行を感じさせたあとに、同じメロディで崩したリハモを続けるなどするからオッッとなるわけだ。
Jacob CollierライブのAudience Choirについてなんだけど、
美しい音を聴きに来たのに、なぜ真隣のおっさんの汚い大声を聴かせにかかるんだ?萎え萎えだろ?全体の音が唯一聞けるアーティストの自己満足だろ?と思ってたんだけど、体感的にこれは多分世界的に考えても日本人だけでの感覚で、
俺のライブだけでなく、それがどんなに静かで繊細なシンガーのライブであろうがライブでは歌うのがデフォであるようで、ちょっと面食らってしまってる。
このライブ、この曲でお客みんな歌っちゃうのが当たり前なんだ。これに関しては日本人でよかったと思っちゃうかも・・・。
https://www.youtube.com/watch?si=qnJYfKAONSDD0I9S&t=3214&v=lkSdNixls0w&feature=youtu.be
Rick Owens 25SS Womenランウェイ見た。ショー用の格好だということを踏まえても、やっぱりこんなのいつ誰が着るんだ感が面白い。w
ここまでやっといて、実際お店だと意外と着やすい服がいっぱいあるんだから不思議だ。
https://www.youtube.com/watch?v=tvoMB63RJZU
でもやっぱり25SS Menランウェイが衝撃的すぎたなあ。来年初春はランウェイピース処女を散らしてしまうかもしれない。やばい。
俺は東洋的な神秘性を好みがちなんだけど、Rickは西洋的な神秘性に思いっきり振ってるから、そこがおもしろいなって感じちゃうんだよな。。
ボカロP