型を治めてから崩せというのは、効率的な練習手順や自己啓発的なスローガンなどというレベル感の話しではなく、それが美の本質の一面を示すからなんだよな。美が相対的なものであるから。
美の基準が流行る→みんながやる→みんな飽きてくる→それを崩したものに新鮮味を感じる→流行るというのが美なのであって、
クオリティが高くても型どおりだとつまらないし、型を感じられないと比較対象が行方不明だから相対化できずに美が成立しないのだ。
だからたとえば、美術館などで古の美術を楽しむときは「当時の何と相対化されたのか」がわかると楽しみが増えるので予備知識やキャプションがあるのだし、
ファッションにおいては型通りのテーラードスーツを崩したものがおしゃれさんの一例になるのだし、
作曲においては定番のコード進行を感じさせたあとに、同じメロディで崩したリハモを続けるなどするからオッッとなるわけだ。