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どうでもいい場所ではとことん長くて面倒で退屈な話をしたい、という性向がある。
そういう話は基本的に嫌がられるので、その反動だと思う。普段は「心のtwitter」という名前の自分用notionに思うがままに書いている。
はい初トゥート~ 

優れた作家は自分のことを、たとえばただの音楽を演る娼婦だとか、ただの職人に過ぎないとか、大したもんじゃないさ的に言うことが多い。
それは今まで、実るほど頭を垂れる稲穂かなというか、常に謙遜して研鑽できるから一流なんだ、すごいなあぐらいの意味で理解していたのだが、最近、これは少し誤解のある理解だと気づいた。

たとえば虚栄心とか、名誉欲とか、親のトラウマからの心の病、強欲、浅い反抗心だとか、そうした余計なことというか煩悩というか、浅はかで愚かな行動パターンや欲求を人間は皆、ふつう抱えているものなのだ。
すごい人というのはさぞ自分にはない素晴らしい素養を装備しているものと思っていたけど、考え方が逆で、自分らが抱えている余計なものを沢山捨てられるからスゴく、一流なのだ。
そんな人はめったにいないのだ。

だから一流の人、本当にすごい人は、どことなく静謐で飄々として、落ち着きがあり、時にとらえどころがなく、時にドッシリと構えたムードがある。
常人にないものをたくさん持っているのではなく、常人が抱えているものを限りなく多く捨てられているのがスゴイ人なのだ。

などとこのインタビューを読んでいて思ったりした。
ヨウジヤマモト×リックオウエンスの対談インタビュー。
system-magazine.com/issues/iss

オールド初音ミクスタイルがインターネットノスタルジックサウンドミームになるのは何年後だろうな。
PlayStation Jungleやビーマニトランスがそうなっているのを考えると、順当にいけば早くて10年、遅くて15年ぐらいか?

General Midi音源が遂に「レトロな音」へと変化を始めた波動を感じとっている。
ノスタルジックインターネットレトロミームサウンドになる日が遂にやってくるかもしれない、ずいぶん長いこと持ったものだ・・・

海外ツアーをしていると心底実感する、日本の物価のバグじみた安さ
sekai-hub.com/posts/big-mac-in

依頼仕事でやたらと人気を博す仕事人ルートに進むと、オリジナル曲に全然注目してもらえないことに一生悩み続けるので、個人的には行き止まりルートだと思ってる

依頼仕事とオリジナル曲のどっちもがんばって作るってのは机上の空論、実際は不可能と言ってよい。
それは「依頼に沿った形で提案をする」と「まったく新鮮なオリジナル曲を作る」は思考のベクトルがまったくの逆方向だからだ。
どちらかに神経を注ぐとどちらかが絶対にできなくなる。依頼仕事を多くこなすほど尖ったオリジナル曲が作れなくなり、その感覚を戻すには一曲二曲ではもう厳しい。

例えが難しいんだけど、「今からこの世の誰よりも派手に散らかさなければならない。どうする?」と「できるだけ綺麗に片付けて褒められる努力」ぐらい違うって感じかなあ。
自分の曲で、シーンがどう派手に散らかるかだから。

「知ってる曲が現場で流れて大盛り上がり」というライブの勝ち方をどうしたら上回れるか、そういうDJに対してどう勝つか、何をもって勝利となるかを第一回ボカニコナイト出演からずっと考えている

センスのある人がオリジナル曲でバズる
→若くて安くて手が早くて言うこと聞くクリエイターを探す人々から仕事がどんどん来る
→そこそこ結果が出てしまい、締切と安い制作料でガンガン消耗、オリジナル曲も出なくなる

この流れにはどう対処すればいいのだろうね、俺は気付けなかった

メロディを黄菊しーくさんが作って、俺が編曲をやるという流れで作ってるんだけど、俺単独からは決して出てこない俺屈指の傑作サビメロだと思う
youtube.com/watch?si=skNMO5m5V

「ライブでは生の音を聴きたい、隣の客の汚声を聴きにきたのではない」という日本人特有の感覚が、ボカロ曲をそのまま流すタイプのDJスタイルでも適用されるのかについては一考の余地があったので日本で1~2度試したのだが、
どうやらボカロ曲を現場で聞く=「生の音」という判定に比較的なるっぽいのでとりあえずやめていく所存。

マジで歌が上手い人に提供するトラックは、音あるいはクセが少なければ少ないほど良くて、歌に力のないタイプには音やクセの方でたくさん補強するほどいいんだけど、ボカロは圧倒的に後者になるために俺の曲作りと相性がいいんだろうなと思う

型を治めてから崩せというのは、効率的な練習手順や自己啓発的なスローガンなどというレベル感の話しではなく、それが美の本質の一面を示すからなんだよな。美が相対的なものであるから。

美の基準が流行る→みんながやる→みんな飽きてくる→それを崩したものに新鮮味を感じる→流行るというのが美なのであって、
クオリティが高くても型どおりだとつまらないし、型を感じられないと比較対象が行方不明だから相対化できずに美が成立しないのだ。

だからたとえば、美術館などで古の美術を楽しむときは「当時の何と相対化されたのか」がわかると楽しみが増えるので予備知識やキャプションがあるのだし、
ファッションにおいては型通りのテーラードスーツを崩したものがおしゃれさんの一例になるのだし、
作曲においては定番のコード進行を感じさせたあとに、同じメロディで崩したリハモを続けるなどするからオッッとなるわけだ。

Jacob CollierライブのAudience Choirについてなんだけど、
美しい音を聴きに来たのに、なぜ真隣のおっさんの汚い大声を聴かせにかかるんだ?萎え萎えだろ?全体の音が唯一聞けるアーティストの自己満足だろ?と思ってたんだけど、体感的にこれは多分世界的に考えても日本人だけでの感覚で、
俺のライブだけでなく、それがどんなに静かで繊細なシンガーのライブであろうがライブでは歌うのがデフォであるようで、ちょっと面食らってしまってる。

このライブ、この曲でお客みんな歌っちゃうのが当たり前なんだ。これに関しては日本人でよかったと思っちゃうかも・・・。
youtube.com/watch?si=qnJYfKAON

個性と競争で勝利を目指したのが俺世代で、その疲労感に嫌気がさして、みんなで仲良くして分け合って価値を最大化しようとするのが下世代みたいな雑な仮説ある

頑張り屋さんだと思われることがたいへんよくある

バリバリ働ける方ではまったくなく、のんべんだらりと過ごしてたまに曲作って生きていくのが幸せと思っていたけど、こんな感じになるとは思ってなかった

Rick Owens 25SS Womenランウェイ見た。ショー用の格好だということを踏まえても、やっぱりこんなのいつ誰が着るんだ感が面白い。w
ここまでやっといて、実際お店だと意外と着やすい服がいっぱいあるんだから不思議だ。
youtube.com/watch?v=tvoMB63RJZ

でもやっぱり25SS Menランウェイが衝撃的すぎたなあ。来年初春はランウェイピース処女を散らしてしまうかもしれない。やばい。
俺は東洋的な神秘性を好みがちなんだけど、Rickは西洋的な神秘性に思いっきり振ってるから、そこがおもしろいなって感じちゃうんだよな。。

ツアーで得たドルの精算がもうすぐなので、固唾を飲んでドル円相場を見守っている

ペルーのライブ中に会場のブレーカーが落ちて、日本語はおろか英語もまったく通じない1000人のお客さんの前で、音も映像もマイクも使えない状況で20分間場を盛り上げたんだけど、
これが思っていた以上にスタッフさんたちからの信頼を得られたらしくて、俺もほんとに人前慣れできたんだなとうれしい気持ち。
あれはファンが暖かかったのでなんとかなった・・・。

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