「最も音が良い曲」を敢えて挙げるとするなら、俺はこれを持ってくるかもしれない
https://www.youtube.com/watch?v=GHa3mFnwIRM
https://x.com/sasuke_maschine/status/1753071646473335220?s=46&t=xZ1NXfZSwuY2JYfxVAbmaA
これ見逃してたな。著作権の無断主張禁止という言葉はおもしろいな。w
https://www.youtube.com/watch?v=oqo3P4B0lUE
中田ヤスタカ屈指の傑作だといつ聞いても思う 凄まじい気合のライディーンオマージュ、14年前にしてまったく色褪せない完成度。
そりゃあこんな曲は最初で最後でしょうよ、こんなもん連発されてたまるか
優れた作家は自分のことを、たとえばただの音楽を演る娼婦だとか、ただの職人に過ぎないとか、大したもんじゃないさ的に言うことが多い。
それは今まで、実るほど頭を垂れる稲穂かなというか、常に謙遜して研鑽できるから一流なんだ、すごいなあぐらいの意味で理解していたのだが、最近、これは少し誤解のある理解だと気づいた。
たとえば虚栄心とか、名誉欲とか、親のトラウマからの心の病、強欲、浅い反抗心だとか、そうした余計なことというか煩悩というか、浅はかで愚かな行動パターンや欲求を人間は皆、ふつう抱えているものなのだ。
すごい人というのはさぞ自分にはない素晴らしい素養を装備しているものと思っていたけど、考え方が逆で、自分らが抱えている余計なものを沢山捨てられるからスゴく、一流なのだ。
そんな人はめったにいないのだ。
だから一流の人、本当にすごい人は、どことなく静謐で飄々として、落ち着きがあり、時にとらえどころがなく、時にドッシリと構えたムードがある。
常人にないものをたくさん持っているのではなく、常人が抱えているものを限りなく多く捨てられているのがスゴイ人なのだ。
などとこのインタビューを読んでいて思ったりした。
ヨウジヤマモト×リックオウエンスの対談インタビュー。
https://system-magazine.com/issues/issue-14/the-master-yohji-yamamoto
海外ツアーをしていると心底実感する、日本の物価のバグじみた安さ
https://sekai-hub.com/posts/big-mac-index-2024-01
https://www.youtube.com/watch?si=Cepe0HrLSv8uBc8P&v=yFgHnTVsZqQ&feature=youtu.be
こちらも傑作サビメロ これを意図して出せるようになりたいと思う
メロディを黄菊しーくさんが作って、俺が編曲をやるという流れで作ってるんだけど、俺単独からは決して出てこない俺屈指の傑作サビメロだと思う
https://www.youtube.com/watch?si=skNMO5m5VUb2Dkc3&v=iPKj7ck4XQI&feature=youtu.be
型を治めてから崩せというのは、効率的な練習手順や自己啓発的なスローガンなどというレベル感の話しではなく、それが美の本質の一面を示すからなんだよな。美が相対的なものであるから。
美の基準が流行る→みんながやる→みんな飽きてくる→それを崩したものに新鮮味を感じる→流行るというのが美なのであって、
クオリティが高くても型どおりだとつまらないし、型を感じられないと比較対象が行方不明だから相対化できずに美が成立しないのだ。
だからたとえば、美術館などで古の美術を楽しむときは「当時の何と相対化されたのか」がわかると楽しみが増えるので予備知識やキャプションがあるのだし、
ファッションにおいては型通りのテーラードスーツを崩したものがおしゃれさんの一例になるのだし、
作曲においては定番のコード進行を感じさせたあとに、同じメロディで崩したリハモを続けるなどするからオッッとなるわけだ。
ボカロP