AIボカロには、人間のようにリアルな歌唱ではなく、人間よりも魅力的な歌唱を目指すべきだと考えているが、そのヒントのひとつがこれだ。
このコブシはなかなか発想できないし、ゼロから歌うのも難しいんよ。でもリリースされて、聴いてみれば理解はできるから、これを真似て歌うことはおそらくできる。
人間がAIの歌を、ボカロPの生成した歌を真似るんだよ。人間の歌の方を従えるのだ。
そしてこういうことを俺があまり表立って語らないのは、高尚っぽい印象がついてスノッブが湧くからだ。
きくおさんの技法は高尚なのである〜!とかいう連中に増えてほしくないのよ。頭おかしいやつが勢いで作ってるのを面白がる感じの温度感がいちばんいい。
リア充が陽キャという言葉に置き換わって久しいが。
リア充が羨ましいのではなく、リア充的なイベントを楽しめる感性そのものが羨ましいのだ、という昔どこかで見た文章がいまだに忘れられない。
別に人と関わるのは嫌いなわけではないし、なんなら俺は内向型にしてはかなり積極的に行ってる方だと思うけど、なんか外向的な人のソレとは根本的な違いを感じる。
人生において、他人との物理的な関わり合いが「絶対に必要であり不可欠で、心から楽しく安心する」という程度と、「それはそれとして楽しめる」という、超えられない壁を感じる。
まあそれは全然いいんだけど、俺がやってる幸せってこの画像みたいなことで、その横で人間たちとの楽しい交流や支え合いとかをやってる人を見ていると、人生損してんのかな感はやっぱあるのよ。w 隣の芝は青いのかもしれないけどね。
まあ内向的な人間がその生き方を許されているってのがそもそもかなり恵まれた環境、時代、国、とも思うし。
眠い朝に目覚ましがてら何も考えず文を作っていくとこうなることがわかった。
ボカロP