愚痴
対面ならともかく、ネットのような不特定多数の人がいる場では、書かれている日本語すらろくに読まないような層が独りでに騒ぎ出して明後日の言いがかりをつけ、捨て台詞を遺して去っていく事案が発生することがあり、ストレスが溜まる。とても迷惑です。「誰かが言ってたから」じゃないのよ。外野の分際で、わざわざ全体の文脈を説明してあげようとしている人のエネルギーを奪い去っていこうとする彼ら無敵の人々はもう救いようがないです。相手と、そのすじでもないのに後から話に加わってきた有象無象のスタンス次第でかみ合う話もかみ合わなくなります。
私が被害に遭うことが多いが、こういうのはそもそもネット上ではよく見かける光景である。しょうもないしみっともない。一人残らずあたまわるそうに見える。そういう状況になってしまうとそいつらの妄想上の事件の《犯人》に仕立て上げられてしまっている私も含めてな。それこそどこにでもいるめんどうくさい人々。間違えた聞き手と荒らしに都合のいい世界。しょうがないよなみんな赤ちゃんなんだもの。
愚痴
行為や発言の意図を勘違いして、いきなり目の前の状況と矛盾している前提条件の話をふっかけてくる人が苦手だ。確実に話が斜め下の方向に飛ぶ。本来は変な文脈で話しだしている相手の側が、自身の持ち込んだその話の前提が正しいのかどうか最初に確認を取ってから意見すべきなのだが、このような人はそれをしない。こちらからしてみれば状況と話の文脈からして真意が明白だと思っていたのに、相手が唐突に謎の文脈を生やしていきなり違う話をし始めるから、寝耳に水となる。相手の状況認識にどのような誤りがあるのか、ごく当たり前(であるはず)のことについて本当に合意できているのかをこちらから一つ一つ確認していく必要が出てきてしまう。こうしたすりあわせを行った結果こちらの認識が間違っていたケースは今までに一度もない。
これは話についていけていない他者の基礎的な言語運用能力のバグの尻拭いをしているのであって、苦痛が伴う作業になる。こちらの言葉が足りなかったことならあったかもしれないが、どこまでが「言うまでもないこと」なのかが聞き手の能力次第で変わるので常に誤解が起きないようにするのは難しい。いちいちそこまで注意を払う気力が残されていない時に起こることも多い。
むかしMisskeyフォークでインポート機能がバグってた時にもあったけど、
Bridgy FedしてるBlueskyアカウントで、Twitter投稿をインポートするスクリプトかなんかを使ったのかな? 大量に新規投稿としてこっちに流れてきているのを観測している。
なので、2012年の投稿とか流れてきてる。まだActivityPubのない時代だねえ。
これかな。
twitter-to-bsky importer
https://github.com/ianklatzco/twitter-to-bsky
⚠️⚠️ 注意書き ⚠️⚠️
At this time, this will spam others timelines, so it is only recommended to run on new accounts with no followers. See Known problems below for details.
(意訳:フォロワーのいるアカウントで使うと全投稿垂れ流してスパム挙動になるからやったらアカンで)
自戒と愚痴:守られるべき人々
このような生き物をそれこそ小学校低学年の頃から知っていたが、たいていは成績が悪いことが多かった。
自己主張の仕方がよくわからなかったために背景に溶け込む習性が身に着いてしまったというだけでしかない、ある意味で卑屈ともいえる自尊心を守るために「ハゲワシ」的スタンスをとる個体が多い。誰かのおこぼれに預かるのが彼らの使命となる。
こんなしょうもない連中が支配的な集団ではまともな新陳代謝など見込めないから、一度病巣を機能不全に追い込むか、あくまでも距離を置いて付き合うか、とっとと立ち去るかということになる。最後の選択肢は阿呆の思うつぼだからだいたい候補から外れる。
スカベンジャー志望者の一人一人を群れから引きずり出してヒト個体としての自我を思い出させることが唯一無二の効果的な治療法であり、根治的解決策である。
自戒と愚痴:守られるべき人々
個々の発言が何についてのものなのかを普段からよく認識しておらず、話の流れや会話のツリーを読まず発言者や主張の出どころにも注意を払わない。
しかも文全体の読解に失敗し、語句の使われている文脈や話の内容を無視して語句そのものに反応していることさえある。
自分の「思い込み」をその場で面と向かって一対一でいうと、相手からの間違いの指摘や反論に対応できなかったり、仲間外や「お上」から叱られることを学習しているから、後々になって本人のいない時に自身の群れや上の者に嘘や妄想を吹き込み、けしかけようとする。歪曲して自身に都合のいい話の脈絡をでっちあげるための「素材」にして、自身の行為の正当化・偽の経緯報告・特定個人に対する不当な人格批難や断罪の拠り所にする。誤解や事実誤認を認めずに押し切ろうとするきらいがある。
人間の記憶は数日も経てば都合よく劣化するものであり、自分で確かめられていないようなことについては尚更である。
ここまでいえば明らかなように自分自身の目よりも伝聞や噂のほうを信じる人種になる。
#fedibird #fedibird_info 絵文字リアクションの連合まわりについて、実装上の不備や仕様の変更を行いました。
・Pleroma / Akkomaに対し、絵文字リアクションを送ってもお気に入りとして届く問題を修正
・Holloからの絵文字リアクションを受け取れない問題を修正
・リアクションに添付する絵文字の情報をID(URI)のみで表現しても受理できるよう変更
・絵文字リアクションに対応したサーバへは、EmojiReact Activityを送信するよう変更
・お気に入りのみ対応のMastodonなど、絵文字リアクションに未対応のサーバへは、Like Activityで送信する(従来通りの仕様)
また現在、Pleroma系の仕様により、既についているPleroma系他サーバの絵文字を使ったリアクションに便乗した際、相手サーバがまだその絵文字を一度も受け取っていない場合は失敗します。
うん、何を言ってるかわかりにくいね! リプライで詳細を説明します。
相手のことをよく知らないうちからお互いの信頼関係が存在することを見込んで一方から相互関係を要求するなどという、倒錯しているとしかいいようのない物事の順接がどういうわけかこの社会で受け容れられていることには、自身の立場を脅かす異分子がいないかを警戒するE6的な対人不安が影響している。信頼とは本来信用の積み重ねではないのか。
既にそういうふうに社会が回っているからというのも理由になるかもしれないが、普通に考える限り筋が通らず、誰かにとってのご都合主義でしかない。当然のこととして容認するためには必然的に二重思考が必要になる(あるいは自分が何をどのように理解しているのかに注意を払っていない人がいるのかもしれないが)。
たいていの人はE6とE4の区別がつかない。
《嫉妬》という象徴的な言葉の表面的な類似性に基づいてsp6が自分自身の生きづらさをso4やsx4と関連付けて思い悩んでしまったり、真面目で正義感の強いso6がsp1にタイプミスされることが表面的な理解によって起こる。反応型とされるE4がハートセンターの3類型の中で最も対人活性が低いとされており、同じ遊離タイプであるE5の隣に配置されている理由を考えたことがないのだろう。
E4の根底にあるのは、無形で無差別的な憎悪の衝動と自己中心性であり、一言でいうとろくでもない人間性である。このような信念はマックス・シュティルナーの著作に表れている。単発の動機を具体的に挙げることができるsp6的な「僻み」と一緒くたにはできない。
仮に愛着理論とこじつけるなら、E6の構造は安定型と不安型の愛着関係に、E4の構造はD型の愛着関係に近い。E4ではそもそもの信頼という視点が欠如している。
#enneagram
https://meiji.repo.nii.ac.jp/records/7577
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(1) 母音
(2) 唇音
(3) 軟口蓋音
(4) 歯茎音
(5) 声門摩擦音
(6) 流音
(7) 後世の追加文字
#alphabet #alfabeto #latin
PEJVにのみ記載がある «blankruĝa» という語が実在する単語なのかどうかが気になっている。ググっても使用例がほとんどヒットせず、本当に「ばら色の, ピンクの」(PEJV)という意味であるのかにさえ確信が持てない。
Tekstaro は Fabeloj de Andersen 3, Zamenhof, 1916 に使用例があるというが、肝心の原文のオンラインコピーが見つからず確認出来ていない。
https://tekstaro.com/?s=670caf549028d
Vikifontaro にある1923年版の Zamenhof 訳にも該当する箇所は見当たらない。 https://eo.wikisource.org/wiki/Fabeloj_de_Andersen_(Zamenhof)/La_virineto_de_maro
#Esperanto