ガチガチな社会からはみだす人がいるのも分かるし、公園の水は税金で賄われていると言いたい人がいるのも分かる
見たくない現実を無視したり石を投げたりする行為が苦手だけど、ほんとは実はそんな人たちも見たくないものを見て心がちくっと痛んでいるのだろうか

この本読んでよかった
子ども向けだけど、大人にも読みごたえがある
ヒトとクマが棲み分けて共存するための取り組みが紹介されている
クマの生態や個性、丁寧な挿絵も分かりやすくい

「支配されて苦しんだ人が辿るのは、自分より弱い存在を抑圧するか、自分が経験して嫌だったことは絶対に繰り返さないかのいずれかの道しかありません。」p.161
信田さよ子

『婦人公論 第108巻_第4号:No.1594:2023-4』
「生まれる場所は選べない。それでもサバイブする強さを」川上未映子、信田さよ子

巣籠もり用に図書館で借りたけど、家でずっと読み続けるのはなんだかしんどい
小山さんはカフェで読み書きするのが好きだったそうだが、読むのもカフェのほうが合うのかもしれない

まだ読み始めたばかりだけど、この本すごくおもしろい

今年の1冊目はこれだった。

『神と黒蟹県』絲山秋子

たまたま図書館で予約が回ってきて読んだら、正月に絲山秋子さんの神シリーズ(シリーズかは分からない)を読むのはタイミングがよかった。来年も覚えていたら神が登場する本を読もう。素直で新鮮な気持ちになれる。

読んだ 📕

スーパーで買ったF1品種の野菜のタネをまいて次世代を育てるのは、楽しそうだけどちょっと面倒に感じる。。
赤米は糠に色素がついていると初めて知った
ボランティアの先輩方が朝顔を毎年タネから育てて、変わった朝顔が出てくるのを楽しんでいるそうで、この本を読んでその意味が少し分かった


「幸せはレインコート
雨が降ったらかぶろうよ
幸せはコッペパン
ひもじいときは食べようよ
幸せはストーブ
寒いときあたろうよ
幸せはハンカチーフ
涙を拭おうよ
きっと
幸せつかんでください」

『井上ひさし歌詞集 だけどぼくらはくじけない』
町田 康/編
p.27~28 「幸せはレインコート」の一部


「二月二十四日 長い間働いてきた仲間の一人が、先の目当もなくやめる、というのを皆でひきとめた。だが他人事とも思えない、世間でいうBG、職場の花などと呼ばれ、花を落した後どうやって根を深くすれば立って行けるか。また、未婚者が自分の資質をゆがめず、素直に年をとるにはどうしたら良いか、その困難さについて、先輩女性と語り合う。」

石垣りん『朝のあかり』「日記」p.36

『口訳 古事記』町田康/著 を読んでいる
神様は万物を公平な目で見るものだとおもっていたけど、ハチャメチャだった

読みたい本
『HSPブームの功罪を問う』
『本草奇説 もの言わぬ植物たちも夢をみる』
『わたしが人間であるために: 障害者の公民権運動を闘った「私たち」の物語』
『開墾地』

「生者は時に闇をかき分けてでも失った人を感じたくて、すがるように光を追いかけて手を伸ばす。幽霊とは死者が送って寄こす信号でもメッセージでもない。幽霊とは死者がこの世に残した感情だった。生者がやむにやまれず、死んだ者から無理矢理引きずり出した影なのだ。」p.70~71

佐藤厚志『荒地の家族』

「生きている間の辛苦は本人と共有できるが、死は別だ。死だけは本人ではなく、側にいる人間が引き受け、近いほど強烈に感じ続ける。」p.69

佐藤厚志『荒地の家族』

「道路ができる。橋ができる。建物が建つ。人が生活する。それらが一度ひっくり返されたら元通りになどなりようがなかった。やがてまた足下が揺れて傾く時がくる。海が膨張して押し寄せてくる。この土地に組み込まれるようにしてある天災がたとえ起こらなかったとしても、時間は一方向にのみ流れ、一見停止しているように見える光景も絶え間なく興亡を繰り返し、めまぐるしく動き続けている。人が住み、出ていく。生まれ、死んでいく。」p.32

佐藤厚志『荒地の家族』

「引きあげる前に、祐治は阿武隈川河口へ向かって歩いた。ある地点で電信柱が新しくなった。そこが境界だった。海が人の暮らしを舐めた形跡、生と死、この世とあの世の境目だった。」p.28

佐藤厚志『荒地の家族』

「金の値打ち 品物の値打ち 卒業証書の値打ち どうしてこの界隈では そんな物ばかりがハバをきかすのか。/ 無形文化財などと きいた風なことをぬかす土地柄で 貧乏のネウチ 溜息のネウチ 野心を持たない人間のネウチが どうして高値を呼ばないのか。」

石垣りん『ユーモアの鎖国』「生活の中の詩」より『落語』の一部分 

失うという事を
知らない人がいる
得るという事を
知らない人がいる
何だか最近は
そんな可哀そうな人ばかり

ブッシュ孝子全詩集
『暗やみの中で一人枕をぬらす夜は』

「運動というのは、勝ちか負けか、変わったかか変わらないかという二次元的なものでも、短期的なものでもないと私は思っている。私にとって運動とは問題を解決するために自分の考えや価値を言葉にして共感する人々とつながる作業であり、生きることそのものだ。環境問題は私の運動の出発点だった。」p.105

『私がつかんだコモンと民主主義:日本人女性移民、ヨーロッパのNGOで働く』岸本 聡子/著,晶文社

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