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新総裁の座右の銘が「勇気と真心をもって真実を語る」ことが政治の使命/政治家の仕事だと知ったとき、石原慎太郎→猪瀬直樹はソーシャルエンゲージドアーティストの実践者だったといえないかと思った。西川きよし、横山ノックが「話芸」の行き着く先として「先生」になったのとはちがい、云々と

書店として出発したヴィレッジヴァンガードが、書籍の利幅の薄さから雑貨に頼った収益構造にいち早く舵を切りつつ、創業者は長らく書籍の品揃えにこだわり続けたことを思うと、時限爆弾に火がつくのをよくぞここまで持ちこたえてくれたなとしみじみする

当選作の改稿とそれに必要な知識提供にも著作権が認められるようにしたい、という編集者の悲願が見え隠れするコンペティションだった。

映像脚本の二次利用料には出版印税よりも不確実性があるし、支払時期も後ろ倒しになるから、共著者としてのリスクを原作者も長めに負うことになる。

応募の手軽さや賞金額と執筆労力を天秤にかけると、まだ粗っぽいテキストが大挙して押し寄せそうで、そのことも見越して腹をくくっているようにもみえる。
note.com/straightedge/n/na98b9

プライバシー保護の技術/制度が成熟してきたことで、「個性に基づく味わい」は、少なくとも数千人単位にまでユーザーセグメントを一般化しないと描写できなくなっている。ひるがえって、生身の人体を用いた人力によるエピソードトークの潜在読者もまた、その程度のほどよく大きなクラスター単位でしか、もはや「普遍性」を想像できないのではないかとも思える。

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これは深読みだけど、「さまざまなテーマで視点を掘り下げてみたときに、みなさんの人柄が文章に立ち現れる。こらが個性です。さらに、その文章から感じとれることが、個性に基づく味わいにつながっていくんです」という解説は、ショート動画が全盛期を迎えた2020年代において、ユーザー個々のパーソナリティが広告接触を増やすための材料にされている状況の端的な説明になっている気がする。

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講師の先生が「スタジオの外」をちらちら見ている仕草に、「国語表現」の枠組みのなかで「読者を意識すること」の難しさを学べた。「表現の達人」が媒体性質に応じたパーソナリティの使い分けを目線や手ぶりで実践しているのも参考になる。
www2.nhk.or.jp/kokokoza/watch/

あとで読…めそうにないけど大事な論点を扱っていそう
unesco.org/en/mondiacult2022

kasaikouhei さんがブースト

紀伊国屋書店主導の出版流通改革、文教堂など参画 500店に║日本経済新聞
nikkei.com/article/DGXZQOUC244

2,000円くらいする電子レンジ用のパスタ茹で容器を買ったら、鍋茹でと比べて水消費量が75%減り、調理時間が50%減ったし、味わいは15%減るくらいで収まった。茹で汁が多めに欲しいレシピ(ペペロンチーノとかボンゴレビアンコとか)でなければ、使い勝手抜群だと思う。

1960-70年代生まれの政治家のなかには、バブル期に乱立した文化施設をいまでも「負の遺産」だと思っていて、素朴に「学術的意義」や「文化的価値」を主張する専門家に対して「無責任だ」と怒りたくなるひとが少なくないのかもしれない

kasaikouhei さんがブースト

【告知】日本の農業やその歴史、食の循環から動物や肉食を考えるための映画上映と勉強会を開催します。食とは何かを探求する広い目的を持ちつつ、命をいただく、牛の命と向き合う、ということに触れ、そのなかで、歴史的につくられてきた差別の問題も取り上げます。

申込:docs.google.com/forms/d/e/1FAI

日時:2024年8月4日(日)16時~
場所:京都大学人文科学研究所本館4階大会議室
上映する映画:『ある精肉店のはなし』 
参加費:無料
定員:50名(要事前申込・先着順)

主催:京都大学人文科学研究所藤原辰史研究室、野咲タラ
協力:北出新司、板垣貴志(島根大学)、KYOTO EXPERIMENT

・事前登録の上、誰でもご参加いただけます。
・私野咲が行ってきた農耕牛の記憶のリサーチの報告も少しします。
・2021年の朝日新聞のこちらの記事が参考の1つになります。
「何を食べても私の自由」が引き起こした環境問題 身の丈に合った食生活を求めよう(藤原辰史)globe.asahi.com/article/144875

議会答弁の曖昧で・回避的な・だらだらした語り口との接近でもあるのかもしれない。

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政治演説・討論の話法が、ショート動画の撮影技法に合わせて進化している向きはあるのかな。

連続再生できる・字幕付きの・倍速視聴も一時停止もしやすい・URL指定された・十数秒ほどの長さの動画だと、サムネイルの新鮮さ、序盤の驚き、中盤の聴き応え、終盤のキレ味を両立しないと、いまひとつ拡散しないだろうから。

この変化が生じたのは、たぶん10〜20年前に、「売れ」に近いコンバージョンをさらに追求するよう求められたPR戦略企画者が、しばしばストレートで、ダイレクトな、ターゲティングされた表現に頼るようになって以来だろうけど、さまざまな話法が「ちょっと古くて懐かしいもの」になっていた感じはする。

・ワンフレーズ・ポリティクス(テレビ番組の映像編集テクニックに最適化した演説術。例:小泉純一郎、進次郎)とか、

・佐藤雅彦らの世代が手がけたTV CM(固有名詞連呼型。例:モルツ、ドンタコス、ポリンキー)とか、

・ビジュアルとテキストの調和/不調和で言外の意味を伝えるポスター術(例:西武百貨店)

・最後まで視聴すると商品名・メーカー名が分かるシナリオ(例:シャボン玉ホリデーによる牛乳石鹸のライブCM)とか、

・パンチライン反復型の演説構成(音飛びするラジオでも聴取者が意味を取りやすい。例:ヒットラー)とか

kasaikouhei さんがブースト

新旧メディアのどこを見ても、「短尺のニュースに憶測と偏見を塗り重ねた茶の間政談・井戸端会議がいやで、都会に出てきたんじゃなかったのか」という気持ちになる。古くて新しい政治姿勢が芽生えつつある

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