講師の先生が「スタジオの外」をちらちら見ている仕草に、「国語表現」の枠組みのなかで「読者を意識すること」の難しさを学べた。「表現の達人」が媒体性質に応じたパーソナリティの使い分けを目線や手ぶりで実践しているのも参考になる。
https://www2.nhk.or.jp/kokokoza/watch/?das_id=D0022110345_00000
プライバシー保護の技術/制度が成熟してきたことで、「個性に基づく味わい」は、少なくとも数千人単位にまでユーザーセグメントを一般化しないと描写できなくなっている。ひるがえって、生身の人体を用いた人力によるエピソードトークの潜在読者もまた、その程度のほどよく大きなクラスター単位でしか、もはや「普遍性」を想像できないのではないかとも思える。