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Tootoise、タイムラインを更新するにはわざわざスワイプしないといけないし、ツリーや画像の表示、お気に入りにも左スワイプという位置動作が必要で、そういう些細な手間がちょうどよく過集中を妨げてくれてよい感じ。

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来週2月23日(木・祝)に幕張の本屋lighthouse で開催されるイベントに向けて資料を作成しました。下記リンクから確認できます。パワーポイントについては草案作成を柿内、資料のブラッシュアップを零貨店アカミミメンバーである「奥さん」が担当しました。格好いいね。

気合入れて基調講演みたいに書きました。当日はこんなふうにゾンビについて一生懸命話すというよりは、参加者の皆さんとゾンビにこだわらずわいわいお話しできたほうが楽しいと思ってます。

open.substack.com/pub/akamimi/

事務所に一人でも所作ががさつで、頻繁に電話をかけ、そのたびにわざわざマスクを顎まで下げて、慌ただしい空気を周囲に撒き散らすような人がいると、それだけでパフォーマンスがガタ落ちする。

もとからオフィスでの執務というものが苦手だったが、在宅ができるようになってから他人の乱暴な所作への耐性がものすごくなくなっていて、ちょっとのことですぐ嫌になってしまう。

iPhone用のアプリ、Metatext はかなりよかったのだけど、各投稿の右端に通報メニューを開くボタンがあり、右手親指で操作しているとこれをミスタッチしてうっかりアカウントやサーバーをブロックしてしまうというのが頻発するからまたアプリを替えた。

Tootoise 。決め手はアイコンが亀だから。

「自分もそうだけど」で書き出したときはなにかしらの自戒めいたことだけを書くつもりだったはずなのに、思いついたまま単線的に書き継いでいった結果、断片的なトピックが散漫に連続するような文になり、「自分もそうだけど」がなにを指しているのかよくわからなくなっている。

思いついたままに書きっぱなすと、こういうことになる。

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自分もそうだけど、SNSで個人で発言できたり、格安印刷で本を作って出せたり、スマホ一台でポッドキャスト配信できたりすると、声を出すのは簡単になったけど、その声が誰かに届くかどうかはまた別の話なのだというのがよくわかる。

基本的に他人の話なんか誰も聞いちゃくれない。

他人の作品や発言の批判はわりあい簡単に耳目も集めるし、それっぽい体裁も整えやすいし、なにより大義への貢献を感じられるから、誘惑も中毒性もすごい。だからこそ距離をとるのが難しい。

自分の相手されなさ由来のやっかみで、他人のことを褒めるのを躊躇ってしまうことがあり、自分のケチ臭さが嫌になるが、大きな声が出せる場所ではなるべくいいものをちゃんと評価するというふうにいたいし、自分にとって面白くなかったものについては黙っていたい。

なるべく気前よくいいものを褒めたい。

くさすのは飲みの席とかでいい。わざわざ言うことでもないことは、酒で洗い流してそれっきりでいい。

この文字列も本来はゴミである。

作品を受け取るというのはどんなに装っても恥知らずなものだし、それでいい。

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なんか、いつもみんな新鮮にうるさい。

本は気の向くまま読めばいいし、音楽は好き勝手に聴けばいいし、絵はただ見ればいい。つまんなかったら今の自分には早かったか遅すぎたか関係なかったかでしかなくて、どんな駄作も刺さる人には刺さってしまうから作品はおそろしい。

正解のようなものをでっちあげて、「まじめ」にそれに合わせていても、誰でもない誰かに似ていくだけで、それは現状の社会の域を出ない。

作品との関係は、無難にそこそこに収めるよりも、盛大にズッコケたり、スベったり、痛かったり、恥ずかしい大失敗をしたほうが楽しい。

失敗に居直ろうとしても、失敗もまた「正解」と同じ程度には凡庸なものだとすぐに気がついてしまうけれど、「正解」の見事さや面白さは自分で間違えたあとでないとあんまりよくわかんない。

そう思っていたはずなのに、うっかりすると安全に気を遣ってしまって、なんも面白くなくなるな。

無謀に挑みかかってみっともなく転ぶのが年々こわく、難しくなっていて、そんな自分の状態が腹立たしくもある。

評価されていたり時流に乗っているいい作品が、僕が楽しめたり面白がったり作品とは限らない。すこしさびしいがそういうものではある。
酷評されていたりそもそも誰からも見向きされていないような作品が、なにより心を打つこともある。
どちらもわかりきったことのはずなのだが、自分の感覚を周囲の評価と関係なしに維持するのはけっこう難しくて、たやすく揺らぐ。

作品というのは作るにせよ受け取るにせよ、社会だとか他人のようなものよりも、もっと別のものに信を置くということであり、それはべつに自分の好みを貫き通すとかでもなく、そうとしかできない、何に対して自分をひらいてくのかという態度表明だ。

読んだもの聴いたもの観たものよりも、読んでないもの、聴いてないもの、観てないものの開示のほうが自己紹介になる。

天羽尚吾さんはペダステで観ていたが、鈴のような声と涼やかな顔で、線が細いのに芯の強さが滲んでいて魅力的。海老原恒和さんは初めてで、この人は何者なのだろう。剛胆さからナイーヴさまで表現する演技力があり、一度聴いたら鼻唄が溢れてしまうメロディを作り、きれいな声で歌を歌う。最強では…?

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たぶん来年以降、どんどん人気が出て小屋が大きくなっていく企画だと思うので、いまの小さな小屋での贅沢な芝居を観ておいたほうがいい。
東京の人、おすすめです。
開演20分前まで前売りチケットを販売してるみたい。
t.livepocket.jp/t/nowloading

公演サイトはこちら。
amoshogo.com/nowloading/

(なんだかかなりステマっぽいが、僕は関係者の誰とも知り合いでもないし、素朴な観客としていいものを観てふわふわしてます)

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『NOW LOADING』観劇。とってもよかった。キャパ40弱の空間での贅沢なアーバン・ポップ・ミュージカル。至近距離で歌い上げられるポップミュージックの親密さと、それでも客席と劇空間とははっきりと隔てられているという遠さの共立。
演劇における近さと遠さの奇妙な同居を、動画配信者の非対面の交流というプロットと重ね合わせていく。俳優のお二人の体重移動がすごい。目の前でかなり大きなマイムもあるにも関わらず、まったく足音が聞こえない。この音のなさもまた近いのに遠い距離を表していた。
無謀な約束を果たすべく一人がゲーム空間を駆け出すシーンがあるのだけど、このシーンの静けさが見事で、思わず涙ぐんでしまった。あと素朴に歌が上手い。このサイズの小屋でこれだけの歌が聴けるというだけで嬉しくなる。

既存の大きな流通経路に乗りやすいように自らをわかりやすい規格にはめこむのでなく、小規模でも自前で制作と流通を準備して、自分がいいと信じるものを誠実に制作できる環境を自作していく態度は、なんであれ素晴らしいものだな、と思う。

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二人の俳優が企画制作からじぶんたちで立ち上げる舞台作品について、あれこれと雑談しているポッドキャストを聴いてる。

「脚本脱稿した!」「スタッフさんがオファー受けてくれた!」「劇場おさえなくちゃ」「予算組どうしよう、助成金いけるかな……」みたいな話が盛りだくさんで、稽古終わりのサイゼリヤでなされるおしゃべりみたい。作品の生成過程の、具体的な段取りが帯びるわくわく感がパッケージされていてとても楽しい。

アルバイト事情など、生々しい話が素直になされているのもいい。

open.spotify.com/show/7u2xJpHh

なんか間違えてjp のドメインブロックしちゃった……誰がどこだったかわかんないな……

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