人に対する執着について② 

実は、仕事をしたい意欲…もっといえば、人と積極的に繋がって、おのれの社会性を高めたい願望がある。

しかし、また別の誰かを好きになってしまうこと、その結果相手から拒絶されることを恐れて、自分だけの閉じたの世界から抜け出すことができなくなっている。

趣味や仕事に打ち込もう、という一般的なアドバイスは、執着の鎖にからめとられた心に対しては、無意味だった。

人に対する執着は、無意識の自分による自傷行為の一つと考えている。( 理論でいう、豊かな人間関係への抵抗。)

持続する苦しみから簡単に逃れるすべは、今のところ存在しないように思われる。

(本投稿で参照したしゅんきさんの初期の投稿では、一般的に言って道徳的に問題と思われる言動も語られている。しかし、現在、彼はたくさんの人の助言を受け入れ、推しに対しての過ちを反省している。そのため、それらについては特に言及しない。)




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人生をマイナスのところからスタートせざるをえなかった発達障害者のわたしはよくこのように考える。仮にいまの努力が実を結び一般就労につながったところで、0未満が0になるだけ、これって虚しさの極みじゃないか?

…ということを今日の心理療法で先生に愚痴っていた。
迫害を受けている民族や、戦争の渦中にある人々は、平穏無事な人たちが考えもしないようなことを…たとえば、人生について深い思索をめぐらすことができるようになるそう。困難の多い人生ほど深みがあるということか。古代ギリシャの哲学者、セネカの本(読んだ当時はぜんぜん共感できなかった)を思い出した。

先日社協の人から心理療法の内容についてまた説明を求められた。
もうすでに2度同じことを聞かれているのだが?
きちんとした内容を伝える気はもうない。
どうせあなたたちに理解できるものではないのだから。

症状が出たとき、抵抗がありそうなことの候補を自分で考えて、感情の演技をして、演技の集中レベルや反応から何に抵抗がありそうか推測できるようになるまで2年くらいかかった。抵抗があると思われることは、抵抗がなさそうなことに比べて感情の演技をするのが辛い。(ただ、反応が逆に出たり反応が出ないこともあるらしいから結果を鵜呑みにはできない。)

芸術派/生活派の分類は、MBTIの直観/感覚連想させる。直観型の「意識が未来に向いている」「知識や技術の応用をめざすよりものごとの原理を知りたがる」「地に足がついていない」という特徴は、芸術派のそれと重なっている。直観型しかいなくなったら人類が滅びると誰かが言っていたのを思い出した。もちろん現実には、直観型の人よりも、みんなが実践したら人類が滅びるような、生活を犠牲にした冒険的な生き方をする人の方がずっとレアではある。


心理療法の先生から、幸福否定が弱まるにつれて、人間関係で不快な経験をしても尾を引かなくなると聞いた。私もそうなりつつあるかも知れない。

先日仕事で、私と仲間とがどちらもミスをしてしまい、忙しいこともあって皮肉の応酬みたいになってしまった。その後、休憩を挟むと嫌な気分が和らいできた。以前は日を跨いでも相手への嫌悪感が心に焼きついたままだったので、進歩したと言えるかもしれない。集中力も向上してきた。ペアを組んだ人が情緒安定型だったからでもあるが、終業間際に精神的な疲労感による凡ミスの連発がなかった。

読んで共感した投稿の中から選んでリアクションをつけています。
投稿内容にぴったりな絵文字を探している瞬間が楽しいです。

↓の興味があることから気まぐれに選んで、心の栄養にしています。
和声法 / 性格診断 / 理論 / 読書 / 英語学習 / ゲーム / 超常現象 / 散歩 / おてがる料理 / ガーデニング / 発達障害者の処世術

元ニートの発達障害者(ASD傾向、診断名ADHD)ですが、しぶとくずぶとく生きています。

心理療法メモ。本当に好きなものを選ぶ方法。 

好きな服を着られないのとは別に、好きなものをそもそも自覚できない(無意識的に視界に入れない、あるいは見ていても意識できない)問題はどう克服したらいいか。

→洋服であれば、同じくらいの年代の人と比較する。自分が着ている服を、他の人が見てどう思うか考える。かわいい、色が派手だ、など。どこに抵抗があるか検討をつける。

→抵抗が減れば、反応として浮上しやすくなる。好きな服が着られなければ、あえて無理して着ればよい(抵抗に直面する)。

心理の先生から教わった話。お金に余裕がない中で買う服は、自分が本当に気に入るものにしたい。

新しく始めた趣味がある程度上達してくると、必ず強い抵抗が出てきて挫折する。最初は単なる娯楽のつもりが、いつの間にか自分の中で重要なことに昇格してしまうらしい。

暇つぶしの趣味が苦痛になったからと、ゲームしつつボーっと過ごしたら、今度は別の抵抗が出てくる。

結局どちらへ転んでも茨の道が広がるばかり。

ありがちな傾向は、
小学生の不登校→学校に行くことそのものに対する抵抗
中学生〜の不登校→勉強に対する抵抗
だそうです。

「症状の原因はうれしいことである」

当然のように人に突っ込まれたので説明を試みたけどうまくいかなかった。
この説を裏付ける根拠といえば、

・症状がはじまる直前の出来事を探ると、本人にとってうれしいはずのできごとが起こっていたことが判明する。すると、症状が弱まったり、消えたりする。あるいは、原因の出来事が繰り返し記憶から消えたりする。

・原因に関係することへのうれしい気持ちを作るのが難しい。あるいは、眠気やあくびや身体の変化が起こる。この「感情の演技」を繰り返すと、長い時間をかけて何らかの好転が起こる(ただし、必ずしも改善したい症状から良くなっていくわけではない。)

そもそも症状が起こった直前の出来事を探るという発想自体一般的ではないから、簡潔に説明って無理だなこれ。

が関係していると考えられる症状(普通の人に起こりうること)

・本屋に行くといつもトイレに行きたくなる
・締め切りまぎわの大慌て
・片付けに取り掛かれない
・入浴中や風呂上り、寝る前(リラックスできるはずの状況)にアトピーが出てくる
・湯船にお湯をためたのに入浴しない
・哲学の本を読んだり、ブルックナーの交響曲を聴いたりすると眠ってしまう
・好きな人と両思いになったらなぜか冷める
・テスト勉強中眉毛を抜きたくなる
youtu.be/uQOEnBxbOBM?t=914

人間にとって一番難しいことは、自由に使える時間がたっぷりあるときに、自分が本当にやりたいこと※を、自分から進んでやることである。

※ゲームのような気晴らしではなく、自分の成長につながるようなこと。単なる娯楽とは違い、本当にやりたいことをやっていると苦しみが生じるらしい。

・リスニングが上達してうれしい
うれしさの実感は作れなかったが、集中はできた

・以前よりリスニングが上達した
一旦集中が途切れたが戻ってこれた(1回目)
集中が途切れやすい(2回目)

→まだ一週間しか勉強してないので疑わしいけど、これからもし一気に上達した感覚が出てきたらなら、スランプの可能性。キツイけどとりあえずもうちょっと踏ん張ってみよう。

・リスニングの勉強をすると上達する
やや集中が逸れやすい(1回目)
かゆみ(2回目)

・リスニングの勉強をしても上達しない
わずかに集中が逸れたがこちらの方がやりやすい

→「あきらめた方がいい」と感じたのは抵抗のせい?

TOEICのPart3(リスニング)の練習問題、6問中1問しか正解できず泣きそうになる。リスニングの才能がないから勉強したところで無駄骨折るだけ、とっととあきらめた方がよし、と思い始めた。抵抗のせいかもしれないので感情の演技で確認した。


労働がどうしようもなく辛いせいで、生きるのがどうしようもなく辛い。

人間関係はまあまあ良好だし、業務に忙殺されているという感じでもない。

内心による、精神的・経済的自立をさせまいという無意識的意志にただただなすすべもなく振り回されている状態。

心の奥底で暗躍する黒幕の存在には、この通り(顕在意識で)気づいているものの、やっぱりどうしようもない。



に興味があるけれど、確実に相手を選ぶ話題だからなあ。関心がない人に熱弁すると新興宗教orスピ系の人ですか?ってなるのは間違いないので。

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