@ttt_cellule 歌舞伎町とか繁華街はいろいろ行政以外の難しさが結構ありそうな……
フィルムコミッション、東京だと自治体というか町・区画単位でいける・いけないみたいなのがシビアそうなイメージ(ネトフリシティーハンターの歌舞伎町ロケの異例さみたいな記事はちょくちょく出ている)。
テレビ見てたら、東京では海外からのインバンド狙いで、ロケ地にしたい人へのフィルムコミッション制度が充実し始めているんですよ〜、というニュースがあった(これ昔から市街地ロケができないという日本映画の悩みだったはずでは?インバウンド対策でいきなり解消したの?とかなり気になったが…)。
パーフェクトデイズも聖地巡礼効果あります〜、からの、海外のウーミンジン監督さんもPDにあやかって桜橋でロケ!というふうに展開してた。もはやヴェンダースと新海誠が似た感じ。まあパーフェクトデイズの居酒屋や地下街の選定は、日本の外から見ると、天気の子の代々木会館チョイスと似てるんだよな…。
ウーミンジンはこの人みたい。ストーンタートルがロカルノに出品されてる。
https://www.imdb.com/name/nm1310756/?ref_=tt_ov_dr
一緒に入った人に
QT: https://fedibird.com/@imdkm/112473898232575113 [参照]
めちゃおもしろそうじゃん……
音楽雑誌と政治の季節 戦後日本の言論とサブカルチャーの形成過程 | 青弓社 https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787235381/
読みたい
音楽雑誌と政治の季節 戦後日本の言論とサブカルチャーの形成過程
山崎 隆広
https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787235381/
シアスター・ゲイツ、モダニズム〜コンセプチュアルの手法を換骨奪胎してアイデンティティの問題に接続する手法やコミュニティプロジェクト、あるいは表現としてのアーカイヴ、みたいなポイントはあまりに「現代的」でそこまで面白みを感じなかった(ある種の社会起業家の仕事にインスパイアされるような意味で刺激は受けた)のだが、そこでおれの陶芸とブラックアート双方のリテラシー欠如のためにいちばんいいところを捉えそこねている感もあった…… ラストの「アフロ民藝」のチャラさに少し救われた(が、ハウスミュージックをリファレンスにするならBGMもシカゴ・ハウスにしなさいよ……と思った。おれが行ったときはジェイコブ・コリアー流れてた)。
imdkmドライブマイカー評をチラ見して思ったが、以前の濱口竜介は演技コードのオーバーライティングや多重性によってさまざまなる摩擦や温度差を前景化させていたが、今回の『悪は存在しない』はいわば「演技の零度」を森に詳しいやつ(自然)として置くことで、他の演技や身振りの温度差を作り上げる舵取りだ、となる。
脚本的には、文明の悪(コンサル)VS自然の対立操作になるわけだが、その捻りが足りないことが不満。「コンサルは悪だが芸能事務所のコンビもかわいそう/でも犠牲になるのはコンサルじゃなくてこの二人なんだよね〜」は捻りのつもりなんだろうけど、いやー、もっとガンガン転がしてもいいんじゃないかな。
人為/自然(身体性)の線引きと撹乱において、日本的シネフィルは初期から宿痾を抱えていて、ヒッチコック的人工空間やラングのファンタジー要素を再解釈することができてない。主として否認するにとどまっている。それらは具体的には日本シネフィルでは、特撮やSFへの侮蔑として慣習化されているわけだが、『悪は存在しない』での自然の極点は鹿になる。
だがここで、「黒沢清なら恐竜をぶちこむのがワンチャンありうる」。これが黒沢清の見世物要素。
ライターとか