今日の東京新聞の中島岳志氏の論壇時評、一面これ「リベラル保守」なる石破の提灯記事だった。
中島氏は石破の「裏金議員」への「厳しい決断」の背景を佐藤優を引きながら、クリスチャンである石破の「神の声」だったのではないか、と眠たいことを言っている。
笑止千万とはこのことである。今日の東京新聞の一面でも他のマスコミと同じく、自民党が「裏金非公認支部」にも活動費2千万円を配布したことが報道されている。
ところが、6面の論壇時評で中島氏は「カルヴァン派」である石破が「神への恐れ」から「自己過信」を戒める政治家、と天まで持ち上げているのである。
それにしても中島氏は「研究者」でもなく、況や「教養のある知識人」でもない。それを延々と論壇時評を担当させている東京新聞の見識も疑われる。
ちなみに中島氏はカルヴァン派を「自己への過信を戒め、他者との合意形成を重視」などとテキトーなことを言っているが、歴史的にはカルヴァン派はカトリックは勿論、プロテスタント諸派の中でも最も「不寛容」であり、元来の仲間でも一度対立すると異端裁判で火刑に処されることが多かった。
オランダでもグロティウス(アルミニウス派)は投獄、亡命。スピノザの政治的同盟者デ・ウィット兄弟はカルヴァン派指導者オラニエ公の民衆扇動によって虐殺さされた。
テレビをあまり見ないので知らなかったのだけれど。
テレビ朝日に 有働TIMESという番組( キャスターは有働由美子氏)。
10月20日の放送で、この番組で、有働氏と千々岩森生氏(テレ朝の政治部官邸キャップ)が、視聴者に白票を勧め、自分達も白票を投じたと言う会話。
今更ですが、テレビは、ここまで堕ちたのですね。
"男はネット上の陰謀論にはまり、「民主党の腐敗した悪のリーダー」に罰を与えようと、ハンマーを持って襲撃に向かった。 デビッド・デパプ被告(44)。米下院議長だったナンシー・ペロシ氏の自宅を襲い、夫のポール・ペロシ氏に重傷を負わせた人物だ" https://digital.asahi.com/articles/DA3S16066683.html?ptoken=01JAXY7TTDAQ32X23H936XPPWD
ちなみにアイドルに違約金を求めて棄却された裁判も、争点が、アイドルが個人事業主なのか労働者なのかという点。結果は、労働者なので違約金を請求してはならない。
漫画業界における労働権(特に漫画家が個人事業主なのか労働者なのか)については、この森川氏の主張を読むことが背景理解に繋がりそう。
国民は自分の身の丈に合った指導者(トップ)しか持てないという物言いがあるが、極右レイシスト首相となればまさにその通りであろう。
ほらまだ懲りない日本のマスコミ(時事通信)
刑事事件において犯罪の立証責任はまず捜査側にあるという原則を知らない読者を騙す手法でしょ?
当局とつるんで、いつまでこんなことやってんの?
【随時更新】袴田巌さん再審で無罪判決 58年前の静岡一家4人殺害事件
https://www.nhk.or.jp/shizuoka/lreport/article/008/38/
58年前、静岡県で一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審=やり直しの裁判で、静岡地方裁判所は無罪判決を言い渡しました。日本:「袴田事件」静岡地裁が再審無罪の判決 検察は控訴するな
袴田さんは、死刑への恐怖のもと長期間収容された影響で、釈放から10年となる今も意思の疎通が難しい状態が続いています。
毎日新聞に記事を紹介されたから読んだが、この人達はいったい自分達の国の事はどう思っていてこういう記事書いているんだろうか。中国人観光客が金目的で刺され、事業を営む在留中国人夫婦が殺され、高校生の中国国籍者がリンチの末全裸で湖に浮かんだ国で、事件後なにかやったのか。あったのか。
中国政府、「国家の安全」最優先か 男児刺殺事件で「反日教育」否定 - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20240925/k00/00m/030/291000c
意外なことに星野智幸の文章が波紋を広げているようだ。
少し確認しておくと、この文章の肝は、
「ずっと社会派を期待され続けて、嫌になったりしないんですか?」
という「友人」の言葉である。
その後はお定まりのリベラル=左派=「正義のカルト」というクリシェ(紋切り型)である。
これは遡れば1983年のコムデギャルソン論争の吉本隆明の主張であり、元新左翼の広告屋達が扇動し、消費社会への批判を「封じる」ために用いたレトリック。
この論理に従えば、男女平等、ジェンダー規範の批判を主張するフェミニズムも当然「正義のカルト」となる。
実際星野が所属する文壇は、日本の数ある空間の中でも、最も「ミゾジニー」が爆発している所でもある。
女性、マイノリティーの小説家も多いのでは、と思われる方もいるかも、だが、「評価の権力」を握っている「批評家」はほぼ日本人男性に牛耳られている。
1980-90年代は柄谷を筆頭としてこの「批評空間」的なもののヘゲモニーは圧倒的だった。浅田彰の口癖は「女の浅智恵」である。
であるから、ここからプロデュースされた東浩紀が消費社会全肯定のネトウヨ大王であるのは、自然の流れである。
このハビトゥスを朝日が政局に利用しているという構図だろう。
“2024年08月30日” / “イーロン・マスクとブラジル最高裁の対立が激化しXの罰金支払いのためにStarlinkの銀行口座が凍結される” (2 users) https://htn.to/2e2mTGsmQ #X #elon
星野寄稿へのコメントプラス、今朝見ると執筆者がさらに増えていてまたびっくり。「カルト」規定に疑いがなかったり、「率直に意見を述べて議論をできない社会、それはたしかに民主主義の危機である」と〈民主主義は工場の門前で立ちすくむ〉状況どこ行った?的なものなどを見た。
「傲岸、卑屈、執念――これが階級社会を反映した組織の枠内に必ず起る精神の三位一体である」(埴谷雄高「政治のなかの死」1958年)と、スターリン批判のころからえぐり出されてきた半世紀以上の歴史があるわけで、それを「カルト」性と特徴づけるのはあまりにも平板であるのみならず、〈政治〉にまとわりつくその傾向の普遍性を突き出すよりも、単に外部化と排除しかもたらさない。それこそがまた、絶えず「敵」とのあいだに線を引き続ける、〈政治〉の再生産ではないのか。
現代日本の全体主義における報道機関の役割を調べています。
https://hrmedia1994.hatenablog.com/