オタクによるファンダム共同体の「自治」っていうものを私は余り信頼していない。基本的に気持ち悪いものだと思っている。ファンダム内でコミュ力があったり絵が上手かったりなどの理由から相対的に権力を有している非常に少数の人間の発想と感情と思考で、自治の方針が決まっていくから。
星野智幸『呪文』読んだら?って思ってしまう。そもそもそこに参画したくない。
ゾーニング・レーティングは「不道徳」かどうかではなくて、
・どんな年齢の人に見せても良いか
・どんなタイミングで(つまり相手の同意なしに)見せても良いか
ということに関する社会的・倫理的な枠組みであるべきだと思うんだよね(他にも考慮すべき事柄はあるかもしれないけど)。
「直接的にセクシャルな描写があるよ」とか「暴力的な表現があるよ」とかっていうのは、単に年齢だけではなくて、成人でもそれを見るとなると、時と場合と人を選ぶということなんじゃないのかなあ。
例えば血が苦手な人もいるし、エロエロな表現を見ると「うっ……」と思う人もいる、戦争や災害の生々しい描写でPTSDを起こす人もいる……など。えっちな表現はみんな好きと言う向きもいるかもしれないが、好きだと思う時もあれば、うげーと思う時もある、という人は多いと思う。
なので、インターネット上のサービスはゾーニングやレーティングを実行できるだけの枠組み(ワンクッション機能の実装や、登録年齢に沿ってコンテンツを表示させるなど)を設けるべきだし、それなりに拡充させるべきだ、と私は思うし、サービスの利用者はそれを積極的に利用して然るべきだ、とも思う……。
一昨年行った鍼灸院の先生に、鬱状態な感じがするから心療内科とかに行った方が良い、と言われて、その時は真面目に受け取らなかったんだけれど、まあその先生の言うとおりでしたね。
というのと、その時その先生に「アイドルのライブに行くとか、スイパラに行くとか、カラオケで熱唱するとか、そういう趣味はない?」と訊かれて「???」となったんだけれど、「精神に良いのはお行儀良さをちょっと括弧に入れた趣味や楽しみで、貴方にはそれが今足りていない気がする」と言われて、へえ〜でも思いつかないや、と感じたんだよねえその時。
本好き読んだ時、お行儀良い……というか、自分の中の「世の中こうあって欲しいな」とか「こういう人間でいたいな」みたいな部分が沼ぽちゃ引き止めて来た感じはあるんだけど、それに従うのが何だか嫌になっちゃって、まあ掛け算でも良いか、ロマンスでも良いか、楽しいし、と思ったし、今それはそれでお行儀良くなく楽しい。
一方、楽しいんだけれど自分がこうありたい、みたいなものを振り切った後味の悪さはあるし、たまにそこの齟齬(ある種の納得できなさに目をつぶって楽しんでいる状態)を強く感じてモヤっ……ともするので、何か、うーん、やっぱりお行儀の良い自分も満足させてあげたいです。ので二次創作以外にも小説を書きます……。
Skillet "Falling Inside the Black"とフェルマイの話
すごくローゼマインだなーって思うと共に、ロゼマちゃんとお別れした幼いフェルディナンドにも読めて、やっぱりお別れしちゃダメだこの人達……と思うなど。
(以下和訳抜粋)
今夜の私は本当に孤独で
ひどい悲しみに襲われている
私をここに置いていかないで、こんな寒いところには
(凍えたくなんてないの)
あなたとの触れ合いは、とても優しいものだったのに
あなたとの触れ合いは、私に命を与えてくれたのに
私、今までずっと待っていた
多くの時間を無駄にしてしまった
私をひとりぼっちにしないで
だって私には見えないこと、分からないことだらけだから
私をひとりぼっちにしないで、私は……
(以上和訳)
Skilletの曲なので、このyouは神様のことなのだけれど、でもとてもフェルマイ読みできる……。
マインちゃん側の読みが出来るのも良いなって思う。お互いがいないと無明の闇になっちゃう感じとかも……うう……。
文明に飼い慣らされていない、繋ぎ止められていない、何物も質草に取られていない、というのは、勿論自由ではあるし所謂「無敵の人」的な強さはあるけれど、当然とても寂しい人生ではある訳で(文明の内側はどんな場所であれ彼の場所ではないから。谷山浩子「よその子」みたいな……)、つまり彼は本当はアプリヴォワゼされたかった、飼い慣らされたかった、飼い慣らされることで、自分を飼い慣らしてきた人を自分も飼い慣らして、その人の特別になって、その人の隣を居場所にしたかった、訳だよね。
きっと彼はローゼマインの隣にいることで、ある意味では弱くなって、でも諦められなくなって、つまり飼い慣らされていない獣みたいな強さとお別れして、躾の行き届いた獣の強さを得るんだろうね。それがどんな強さなのかは分からない、強さと呼んで良いのかも分からないけれど。
本好き31巻の話
いやこれ上手く説明できないな。上手く言えないんだけど、マジで野生の獣感あったよね……狼とか、豹とか、肉食獣系の……。
あんまり手懐けられてない、文明や社会規範に去勢されていない感じがする。貴族社会で生きてきているのだけれど、どこかアウトサイダーな感じというか……。単に騎士っぽいとか、戦い慣れしている、とかじゃなくて、貴族が「人間ってこんな風に戦うよね」と思うものの外にはみ出しているというか……。
うーん、どれも良い言い方じゃないな。
知謀策略のオンパレードなのだけれど、結局のところ彼は(ローゼマインの為に)ジェルヴァージオに勝ちたい、ジェルヴァージオを抹殺したい、以外のことを考えていなくて、そのために寸分の隙もなく振る舞うので、その「隙のなさ」「最短距離」「躊躇いのなさ」「罪悪感のなさ」が、肉食獣の狩りみたいに見えるんだ、ということではある。
めちゃくちゃピュアに「滅びろ」って思っているからというのはあるかも。相手の事情とか心底どうでも良いし関心もないし心も揺らさないし、とか。
うーん、もっと良い言い方を見つけたい。
本好き31巻の話
フェルディナンドのプラグマティズムって、冷徹とか素っ気なさの根っことして理解していたけれど、どちらかというと動物的というか……いや何ていうのかな……倫理や常識といった固定観念を取り払って力ずくで希望を叶えるための思考、にかなり近いんだな〜……と思った。
猛獣っぽい、とTwitterで連呼したのは、そこら辺ですね。手段を選ばない、という言い方もできるけれど、どちらかというとなりふり構わない、がかなり近いなと思う。
ロゼマちゃんが飛んだ先の過去の貴族院のフェルディナンドってきっと手負いの獣みたいなんだろうな、と多くの人が思っていると想像するのだけれど、そういう野生動物感、手懐けられてない感、って何処から来るのかなとか思った時、結構彼のプラグマティズムと手懐けられてない感は近しいものとしてあるよな……なんて思いました。
いま、Vivaldi Social の良くある質問に答える記事を書いてます!質問あれば送っていただけたら記事で取り上げますのでリプライお待ちしています〜
例:Vivaldi Socialって、Vivaldiユーザー専用サービスですよね? とか
Vivaldiの話をするための場所なのですよね? とかとか。
ヲタクの考えごととうめきです。二次創作の話などが出ます。