自宅からですが連帯します。
#改悪入管法を廃止へ
#永住権取り消し法案提出に反対します
経産省の書店支援プロジェクトとやらについての、現時点での意思表明
「底が抜けたコップ」に水をやる
認定NPO法人D×P(ディーピー)が話題だけど、代表の今井紀明さんは2004年のイラク人質事件の当事者。
イラクで生死の分かれ目に遭い、帰国したら誹謗中傷の嵐。
大変な人生を歩んで今井さんが、10代の不登校の子どもたちを救済する団体を立ち上げてがんばっている。
今井紀明さん、がんばれ!
https://www.dreampossibility.com/about/story/
認定NPO法人D×P(ディーピー)
支援や募金関係のことは広く発信したほうがいいと思うので投稿しますが、こちらの団体に毎月定額募金をしています いろいろな事情で困っている若者にごはんを送ったり、その後の相談に乗ったり、居場所づくりに取り組んでいる団体です
カルト的人気アニメ『ファンタスティック・プラネット』本日21時よりYouTubeにて無料配信。青き巨人に奴隷として扱われる人間を描く。主人公の人間“テール”は巨人の機械を使い高度な知恵をつけて脱走
https://news.denfaminicogamer.jp/news/240308r
こちらのGoogleドキュメントのリスト、全国各地の運動がかなり網羅されていてものすごいです。
【植民地主義に抗い民衆と連帯するアクションリスト】
https://docs.google.com/document/d/1-_qQyQRXU64jdZdgHT5idBfBz2xjf0fZQITbmmXWFOo/mobilebasic
前に「僕はコロンビア人だよ」っていう男性と喋ってたら本当はコロンビア出身だけど内戦があって◯◯国と△△国に逃げてアメリカに逃げて…そんで今は日本にいるんだよねって身分証見せてくれた
「初対面の人間に身分証見せな…(個人情報やろ大丈夫?)」て思ったけども、むしろそれぐらいして「僕は危なくない人です」って言わないと信用してもらえないのかもしれない
何より私はコロンビア内戦のことをその時まで全然知らなくて恥ずかしかった
Wikipediaを見るとコロンビア内戦の項目には「1964年5月27日 - 現在(59年9ヶ月1週間)」とある
日本がそういう人にとって「もうここでは逃げたり隠れたり怯えたりしなくていいんだ」って土地になったらいいのになって思う
今の日本を見てると"全然そうじゃない"から余計に思う
ニッスイの冷凍タンメン、378calでカロリーもほどほどでご飯作るの面倒だけど野菜食べたい時に便利でよかった。
https://www.nissui.co.jp/product/01041.html
新属新種の植物「ムジナノショクダイ」を発見 鹿児島・肝付の山林(毎日新聞)|dメニューニュース(NTTドコモ) https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20240229k0000m040284000c
今年も、3/29から4/1まで4日間、トランスジェンダー映画祭が開催されます。
そのなかの一作、パレスチナにおける人権侵害とLGBTコミュニティのあり方について問う映画「これがピンクウォッシュ シアトルの闘い」は無料で視聴できるそうです!
ウィシュマさんのことを思うとき、ユン・ドンジュの姿が重なる。ユン・ドンジュは日本の敗戦の年に独立運動加担の罪で逮捕され、獄中で亡くなった韓国の詩人。実際は特に運動はしていなくて(仲のいい従兄弟はかなりの独立運動家だったが)、基本的にはただ母語で詩を書いていた静かな青年。警察による拷問もあったのだろう、最後には母語の朝鮮語で何かを叫び、亡くなったという。最初にその話を聞いたときは、母親の名を呼んだのかなとか、母国の独立を叫んだのかなとか、どこかロマンチックというのか、そういうことを口にしたのだろうと思っていた。その後見たのがウィシュマさんの最後の様子。その姿を見てユン・ドンジュを思い出し、ああ、彼は単に「助けて」と叫んだのかもしれないと思い至った。ただ生きていたかった。
ユン・ドンジュを見殺しにしてから70年以上経った日本で、まったく同じことが起きたと。これは驚くべきことだし、強い怒りを感じる。何も変わっていないという絶望も。2人とも極めて事務的に殺された。そして日本に住む私たちの多くも、かわいそうとは言いながら、無関心を保った。同じ時代を過ごした人間として、ウィシュマさんには、ただただ申し訳ないという言葉しかない。情けないことに。
岩波の『茨木のり子詩集』に収録されている「りゅうりぇんれんの物語」。短編小説並みに読み応えのある長編詩で、涙なくしては読めない。劉連仁という実在の人物の物語で、wikiを見ても「あの時代ならそういうことも結構あっただろう」程度の印象しか残らないが(考えるとこれ自体恐るべきことだ)、やはり詩や物語が持つ力というのはすばらしい。りゅうりぇんれんとともにさらわれ、打たれ、隠れ、逃げ、耐え、耐え、耐え、そして故郷の地を踏むという体験。カフェで一人鼻をすすりながら読んだ。