今日から一週間公開だそうです。
「追燈」岡田紫雲
https://comic-action.com/episode/14079602755100864512
今週巷で話題になった星野智幸氏の文章、内容自体は「問題外 out of question」の外、むしろ、政局に利用しようとする思惑だろう、と推測した。
どうもこの「推測」、当たっていた模様。
というのも、星野氏は2年前にブログで「政治について」という文章を掲載しており、そこで「共産との同盟」という「毒饅頭」を選択した「立憲民主」に愛想が尽きた、とすでに堂々と書いているからだ。
ここで星野氏は「アベノミクス」を「真っ当なマクロ経済政策」と評価し、民主党はこれを上回る政策を打ち出すべき、としている。要するに、例の「バラマキ・キャンペーン」の一味だった訳だ。
さらに星野氏は共産との同盟を「ジリ貧の左派政党同士で組むこと」と罵倒し、安倍政権が無党派中道の受け皿になった、と無茶苦茶なことを言っている。
ところで、今立憲民主は総裁選真っ最中。野田は維新・国民民主との共闘を主張。これに消極的な枝野に対して圧倒的な優位に立つ。
ただ、東京を中心として共産票がなければ当選がおぼつかない議員も一定数いる。
そこで維新広報紙の「朝日」がダメ押し効果として、一面全部使って「正義に依存する」云々を掲載したのだろう。
しかし津田大介といい、いざとなると共産排除を唱える「リベラル」が必ず滑り込んでくるのは興味深い。
おじさんが並んで「狙うは女子」って、気持ち悪いのが自覚できないのがおかしい。
From: @asahi
https://rss-mstdn.studiofreesia.com/@asahi/113037333604137703 [参照]
なんかもう日和ってるし(ヽ´ω`)
昨日から話題の朝日新聞星野智幸寄稿、これについているコメントプラスを読んで、いろいろびっくりした。
いずれのコメンテーターも、ひどく「正義」に疲れていたり、「正義」に依存なさっていたご様子だが、それはホントなのか? それってバーナム効果なんじゃねえの?……と思うが、いずれのコメントにも欠けているのが、こうした「正義疲れ」を満喫できる自分ってなんなの?という自問だ。
https://www.asahi.com/articles/ASS8V026WS8VUPQJ006M.html
「「正義」の無謬性に完全服従し全身を預け、個人を重視するはずのリベラル層が「正義」に依存するために個人であることを捨てている状況。」(能條桃子)
おいおい、「個人であることを捨ててる」ホントかよ的に唖然。
「この虚しさを振り切っていくつか論考を書いたのだが、そのとき私の胸に去来したのが「正義」への依存だった。自分は正しい指摘をしている。そう自らを鞭打って、今やるべきことをしなければならないのだと自らを納得させ、進まない筆をなんとか動かした」
(平尾剛)
えっ、それは「正義への依存」なんですか?
「純粋に善や正義を求め、悪を排そうと正義感をかきたてると、集団も自身もカルト化するのになかなか気づかず、ブレーキはかけられないのだろう。」(江川紹子)
はいはい、カルトカルト……
あの吊るした石の下でメットも被らない人をいれて滞在させるのがOKなら(そもそもメットで防げるもんでもないが)、エレベーターピット下も人が立ち入ってOKだし、吊り荷の下も立ち入ってOKだと思う
あのくらいの年齢で正義がー疲れたーとかいってんのは、90年鬼畜系は楽だったという「昔は良かった」のジェネリックで、ポリコレ疲れと同じタイプの反動、バックラッシュでしかないから。
うつくしいくにをとてつもなく恨んでいる