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昨日から話題の朝日新聞星野智幸寄稿、これについているコメントプラスを読んで、いろいろびっくりした。

いずれのコメンテーターも、ひどく「正義」に疲れていたり、「正義」に依存なさっていたご様子だが、それはホントなのか? それってバーナム効果なんじゃねえの?……と思うが、いずれのコメントにも欠けているのが、こうした「正義疲れ」を満喫できる自分ってなんなの?という自問だ。

asahi.com/articles/ASS8V026WS8

「「正義」の無謬性に完全服従し全身を預け、個人を重視するはずのリベラル層が「正義」に依存するために個人であることを捨てている状況。」(能條桃子)

おいおい、「個人であることを捨ててる」ホントかよ的に唖然。

「この虚しさを振り切っていくつか論考を書いたのだが、そのとき私の胸に去来したのが「正義」への依存だった。自分は正しい指摘をしている。そう自らを鞭打って、今やるべきことをしなければならないのだと自らを納得させ、進まない筆をなんとか動かした」
(平尾剛)

えっ、それは「正義への依存」なんですか?

「純粋に善や正義を求め、悪を排そうと正義感をかきたてると、集団も自身もカルト化するのになかなか気づかず、ブレーキはかけられないのだろう。」(江川紹子)

はいはい、カルトカルト……

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