言動があまりに戯画的なのでネタ化されているけれど、人が一人死んでるんだよね。
中学生だった頃にイジメの被害を受けていたけれど、加害者以上に許せないと思ったのはイジメの様子を見て「演劇みたい」と笑った観衆の一人だった。
Xで「このキャラに県知事の言動させたら……」とネタ化されるのを亡くなった県職員の遺族やパワハラ被害者たちが見ないとは限らないのに。
結局これも一過性のブームで終わってパワハラも不正支出も有耶無耶のまま「なんかオモロい奴がいたな」になりそうでスン……となる。
泉房穂氏「恣意的人事、公費の不正支出…法人の職員、県職員が亡くなっている。おねだり云々の話ではない」(スポニチアネックス)
#Yahooニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/a1c5d0b8fa2f318d69f592743e8060eaaaec4b24?source=sns&dv=sp&mid=other&date=20240911&ctg=ent&bt=tw_up
『ダンジョン飯』のライオスが海外で「自閉症っぽい」と言われているらしいと知って、ちょっと嬉しい(作者はそういうつもりはなかったと言っているらしいが)。
今までも「ASDぽい」「自閉症ぽい」と言われるキャラクターは多かったけど、その多くが「何だかんだ言って人気者」に着地していてASD当事者としては「いや、かなり定型発達に近いですよ」と思うこともしばしばだった。
ライオスの場合はあまりそう思わなかった。
どうしてなのか考えてた時「嫌われ」や「気味悪がられ」の要素がきちんと書き込まれているからだと気づいた。
ライオスは優れた観察眼や飽くなき探究心と同時に、他者への想像力が弱く配慮が足りない面を多く持っている。
シュローの恋心にも自身への嫌悪感にも気づかず、カブルーの下心も感知できず、誰もが嫌がる魔物料理を笑顔で食べろと迫る……そういう自閉症のマイナス面がきちんとマイナス面として描かれているからなんだろう。
定型発達者にも受け入れやすいようにウォッシュされた自閉症「ぽい」キャラを出されるより、よほどいい。
嫌われることに気づかないライオスの姿こそ、周囲に気味悪がられてもやめられない悪食王の姿こそ思い当たる節がある。
その欠点を抱えながらも人と生きていけるライオスをこそ、私は温かい気持ちになれる。
昨夜の #映像の世紀バタフライエフェクト で「ナチス政権下では新婚家庭に『我が闘争』が配布された」という話を見て以来、国家が本を通して個人に介入することとか国家が本を配布する支配性や暴力性を考えている。
焚書により知の空白地帯を作り出したナチスが個々人の家庭にイデオロギーを送り込む悍ましさは言うまでもない。
それ以前の「国家が本を配る」という行為を考えたい。
「『我が闘争』をいらないと笑う人は『知的水準向上のため貧困家庭へ名著を配布』とか『育児支援の一環で絵本を配布』とか国家が言い出したら同じようにいらないと言ってくれるかな?」という危惧はある。
「そんな本読まないからいらない」ではなく「内心の自由、学問の自由、個人の良心に国家が介入することだからやってはならない」とまで考えてくれる人はそんなに多くない気がする。
むしろ上記のパターンなら「つべこべ言わず有り難く受け取れ」「読んで学べ」という声さえ上がる気がする。
贈られる本が『我が闘争』だからいらないのではない。
国家が本を配布することそのものが支配であり暴力なのだ。
「こんな本が読みたい」と望む子どもに慈善団体が本を寄付するのとは権力勾配が明らかに異なる。
笑っている我々に明日「これを読め」と国家から本が送られて来ないとは限らない。
魔女/フェミニスト/教育/反家父長制/産まない女だけど反出生ではない/she|herの人/ #ブクログ https://booklog.jp/users/bunsouou-book / 写真 https://instagram.com/minotake155?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA==