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デカい仕事を無事に終えたけど、幾多の災難に見舞われ、自分のミスも多々あり……どうにも辛いし、個人的にもちょい凹むことがあり……それでも大禍無いなら良しとしなければならないな。

「おもしろさの罪」ということを考えたい。
「わかりやすさの罪」については方々から様々語られているけれど「おもしろさの罪」も問い直さねばならないんじゃないかな?
特に何でもネタ化されて拡散されるSNSが生活の一部になった昨今では。

言動があまりに戯画的なのでネタ化されているけれど、人が一人死んでるんだよね。
中学生だった頃にイジメの被害を受けていたけれど、加害者以上に許せないと思ったのはイジメの様子を見て「演劇みたい」と笑った観衆の一人だった。
Xで「このキャラに県知事の言動させたら……」とネタ化されるのを亡くなった県職員の遺族やパワハラ被害者たちが見ないとは限らないのに。
結局これも一過性のブームで終わってパワハラも不正支出も有耶無耶のまま「なんかオモロい奴がいたな」になりそうでスン……となる。

泉房穂氏「恣意的人事、公費の不正支出…法人の職員、県職員が亡くなっている。おねだり云々の話ではない」(スポニチアネックス)

news.yahoo.co.jp/articles/a1c5

銀のスプーンくわえた世襲議員が労働を、規制緩和を口にするなんぞ…とはそうであろう。

だが、派遣労働はそういう議員たちが規制緩和してきた。そして、派遣労働の経験がない人たちが論じて、報じて、最後、苦境に立たされる派遣社員を各方面が自己責任とぶん殴った。

ソウイウモノダカラシカタナイ
イヤナラヤメロ
ノウリョクノモンダイ
ジコセキニン、
ジコセキニン、
ジコセキニン、

さて今回は同じ道を辿るのか、
正社員が絡むので各方面、徹底抗戦するのか…どうでしょうか。

私くらい一人暮らしに慣れると、いつでもカレーが作れるように自宅に材料が備蓄されているんである。

 経済誌のウェブ版に「新NISAブームに踊らされた高齢者の末路」なる見出しが躍ってて、「踊らせたのお前らやろ」と思うなどした。

そもそも「若さ」の何がそんなに良いのか分からない。
アラフォーになって若さを日々失っているのだが「良いものを失っていく」とは思えない。
むしろ10年前、20年前の自分より、その頃の日常よりも今の自分と日常が断然好きだし楽しい。
若さ故の健康や頑丈さは羨ましいが、それだって無茶な振る舞いに繋がっていたと思えば全面肯定はできない。
「若さ」への期待は「加齢と共に獲得できたものが無い」という悔いの裏返しでは、と勘繰ってしまう。
そして、それは多分、若くても手に入らないものだと思う。

「小泉進次郎さんは今はネットのおもしろキャラみたいになっているけど、電通あたりが『若くて有能な青年宰相』イメージで売り出したらあっという間にそうなるだろう」と何年か前から言っていますが、今そうなりつつあるのかもしれません。「何をやりたいのかわからないが若くて爽やかで期待できそう」で政治家を選ぶのをいい加減にやめた方がいいです。

Twitter不具合?一番の不具合はCEOだろ。

旧Twitter、何でもネタになるから嫌だ。
「いや、それ被害者いますからね。現在進行形でいますからね」となる。
全部やめろとは言わんし、自分も人のこと言えんのだろうけど、後ろめたさは持とうね。

男だ女だの話をXでなるとすぐに大炎上するからここでやるしかなくなっている。「おれが言いたいのはそういう話じゃない、男が悪いとか女が悪いとかそんなのはどうだっていい、仕組みの話をしている」が全く通用しない

いじわるするから付き添いが必要なんだって

支援の仕事してる人が「うっかりビザ失効しちゃった人の手続きに日本人が付き添いでついてくと入管の態度がコロッと変わる」っていってた。

新婦人では「米がやべえ、農家を守れ」という運動を長くやっているのだが、今回の米不足について「新米出ましたがwww」「備蓄米出すと価格が下がりますが???www」みたいなんが大量に湧いており、そーゆーのを見て「あっ関わったらダメな案件だ」とシャットダウンする人も増えるだろうし、これは困ったものだなと思っている。こっちとしては農家と共に「お前らが秒で思いつくよりはるかに深いレイヤーでやばいと言っているのだが」なんだけど、なんかもう、本当に嫌になるな

『ダンジョン飯』のライオスが海外で「自閉症っぽい」と言われているらしいと知って、ちょっと嬉しい(作者はそういうつもりはなかったと言っているらしいが)。
今までも「ASDぽい」「自閉症ぽい」と言われるキャラクターは多かったけど、その多くが「何だかんだ言って人気者」に着地していてASD当事者としては「いや、かなり定型発達に近いですよ」と思うこともしばしばだった。
ライオスの場合はあまりそう思わなかった。
どうしてなのか考えてた時「嫌われ」や「気味悪がられ」の要素がきちんと書き込まれているからだと気づいた。
ライオスは優れた観察眼や飽くなき探究心と同時に、他者への想像力が弱く配慮が足りない面を多く持っている。
シュローの恋心にも自身への嫌悪感にも気づかず、カブルーの下心も感知できず、誰もが嫌がる魔物料理を笑顔で食べろと迫る……そういう自閉症のマイナス面がきちんとマイナス面として描かれているからなんだろう。
定型発達者にも受け入れやすいようにウォッシュされた自閉症「ぽい」キャラを出されるより、よほどいい。
嫌われることに気づかないライオスの姿こそ、周囲に気味悪がられてもやめられない悪食王の姿こそ思い当たる節がある。
その欠点を抱えながらも人と生きていけるライオスをこそ、私は温かい気持ちになれる。

旧Twitterそろそろ引き上げ時かとは思うんだけど、別のSNSにアカウントを作るのも億劫……以前ほど人と繋がりたいと思わないというか、変にトラブルの原因になるもの作る必要も無いかな……となっている。
最近はとみに集団とか繋がった人々とか盛り上がりへの嫌悪や忌避感が強い。
考えが合う人をわざわざ探す手間も面倒。
そういう時期なんだろうな。

大急ぎで付け加える。
義務教育中の教科書は国庫負担だ。
義務教育中の教科書は教育の機会平等と内容の質を保証することを優先したギリギリの施策だと、私個人は思ってる。
だからこそ、道徳の教科化や教科書について今だに議論が続くのである。
「感謝しなさい」とばかりの文句が書かれた教科書を入れる紙袋も正直どうかと思っている。

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昨夜の で「ナチス政権下では新婚家庭に『我が闘争』が配布された」という話を見て以来、国家が本を通して個人に介入することとか国家が本を配布する支配性や暴力性を考えている。
焚書により知の空白地帯を作り出したナチスが個々人の家庭にイデオロギーを送り込む悍ましさは言うまでもない。
それ以前の「国家が本を配る」という行為を考えたい。

「『我が闘争』をいらないと笑う人は『知的水準向上のため貧困家庭へ名著を配布』とか『育児支援の一環で絵本を配布』とか国家が言い出したら同じようにいらないと言ってくれるかな?」という危惧はある。
「そんな本読まないからいらない」ではなく「内心の自由、学問の自由、個人の良心に国家が介入することだからやってはならない」とまで考えてくれる人はそんなに多くない気がする。
むしろ上記のパターンなら「つべこべ言わず有り難く受け取れ」「読んで学べ」という声さえ上がる気がする。
贈られる本が『我が闘争』だからいらないのではない。
国家が本を配布することそのものが支配であり暴力なのだ。
「こんな本が読みたい」と望む子どもに慈善団体が本を寄付するのとは権力勾配が明らかに異なる。
笑っている我々に明日「これを読め」と国家から本が送られて来ないとは限らない。

関東大震災についての黒澤明の著述。

> 町内のある井戸の水を飲んではいけないと少年が近所の人に注意される。その井戸の外の塀にチョークで変な記号が記されているが、それは朝鮮人が毒を入れた目印だと言う。少年は唖然として言葉もない。と言うのも、その記号は、以前、彼が描いた落書きだったからである。

独善が怖いのでなにも考えるな
正義はそれぞれにあるから正義を主張してはいけないのだ

これが呪いなんですって

独善に陥らない正義を追求すれば良いでしょう。

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