見聞きした現状。
- Bluesky: 落ちた。自分がつないだ感じだと、認証を司る部分が死んでるっぽい。新規登録が大量に出たら、まあそうなるか。
- Misskey.io: 同時接続数15000(!)というのをさっき見た。
- 各種Mastodon: あまり動きがない。こういうときの選択肢から外れた感じがする。
何か新しいことをやりたくなって糠漬けをやってみることにした。
無印良品の糠床から始めて、いつまでカビさせずにやれるかな〜?
「安楽死法案なんて言ってる奴らも自分や家族がその対象になったら命乞いを始めるんだろう」という話には私は割と懐疑的。
むしろ「これ以上誰にも迷惑をかけたくない/かけられたくない」「障害を負った人生なら死んだほうがマシ」と嬉々として(とまでいかなくても粛々と)安楽死施設に列をなす未来が目に浮かぶ。
この社会のウィークネスフォビアや能力主義の根深さを甘く見ないほうがいい。
高校生に少子高齢化や福祉について小論文を書かせると結構な頻度で「安楽死導入」が出る。
それも「苦しんで希望も無く生きるぐらいなら本人が判断できるうちに決めさせてやりたい」と「思いやり」の文脈で。
田野大輔『ナチスはいいこともしたのか?』の冒頭にも同じケースが紹介されているが、若い世代ほど「障害者になるくらいなら死にたい」は根強い。
彼らが認知症になった親を前にした時「可哀想だから死なせてあげてください」と言わないとは思えない。
大元の発想が「低賃金長時間労働を産む社会構造を変えたい」じゃなくて「今の社会構造の元で勝ち組になりたい」なんだろうな。
「オタクの正体は『イジメをなくしたいいじめられっ子』ではなくて『いじめっ子になりたいいじめられっ子』だ」という言葉、オタクを日本人に入れ替えても違和感は無いな。
雇用の流動化って残酷だなぁと思うのは、自分が連日の残業でも辞めたいと思わず「キツいが明日もやるかぁ」と思えるようになったのは勤続10年目くらいだから。
そこまで働いてやっとやり甲斐を感じ、仕事について自分なりのポリシーやスタンスが定まり、コツや求められる役割と自分のやれることの折り合いがついた。
職場を変えることと職業を変えることは違うだろうけど、何か掴む前に離れなければならない生活に耐えられる人はそんなに多くないんじゃないかな?
「仕事だけが全てじゃない」のはその通りでも「じゃそれ以外に人生ずっとやりたいことや一日の大半を注ぎ込めることは見つかりました?」と聞かれて何か挙げられる人はどれだけいるんだろう?
退屈しないのにも適性がいるのだ。
大半の人は何者にもなれない凡人だけど、何者にもなれない凡人も、何らかの職業を続ければ「その職業の人」にはなれる。
その一番手頃なルートが無くなった心の隙間を埋めるのが「推し活」なのかなぁと思いながら、残業帰りのトマトラーメンを啜っている。
魔女/フェミニスト/教育/反家父長制/産まない女だけど反出生ではない/she|herの人/ #ブクログ https://booklog.jp/users/bunsouou-book / 写真 https://instagram.com/minotake155?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA==