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雪が降ることを六花飄動と表記してどうこうっていうのを最近というか今日の朝見た気がするけど思い出せない……と一瞬悩んだけど富士谷成章が白話小説だかの翻案で用いていたみたいな論文の一節だった

戸田山和久『恐怖の哲学』
長らく積んでたけど面白い
まだ途中だけど、情動の哲学から心理学、神経生理学まで動員してホラー論を展開してくれていて、哲学入門としても情動論としても読み応えがある
ノエル・キャロル『ホラーの哲学』は論じられているけど、ユージーン・タッカー『哲学の恐怖』などは出て来ない

やっとみくのしんが山月記読む記事読んだけど、山月記のここ、全体の中ではどちらかと言えば文章の調子の低い感じもあるけど凄い好き

>己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。

ヘルレイザーレベレーションとジャッジメント観たけど、これは別に観なくてもいいかもしれない
ジャッジメントは辛うじて神話論的な世界観を展開しようとしてるけどちょっと今一つというか予算少ないんだろうなというのが透けて見える。あと拷問までのシステムを近代的にアップデートしようとして逆に神判制度に逆行していってるのも安っぽく見えてしまう

たまたま実家の近くのGoogleマップ見たら余りにも何もなさすぎて普通の自販機の位置がわざわざマッピングされてて笑ってしまいました

アマプラで見れるようになったからツインピークス見てたらドーナツ食べたくなってきたな

風鈴ってもともと占いの道具、そこから発展して魔除けの道具だったんだ

大西民子 

大西民子の評伝読んでよかった作品

夜もすがらわれに来てゐて雪の上に跡も残さず去りし何もの
落ちてゆく眠りのなかにまざまざと見えて昇れぬ階梯を持つ
ひとすぢの光の縄のわれを巻きまたゆるやかに戻りてゆけり
てのひらをくぼめて待てば青空の見えぬ傷より花こぼれ来る
かたはらにおく幻の椅子一つあくがれて待つ夜もなく今は

「ひとすぢの」の〈の〉の使い方がいいのと、傷はじめ、代表作の「幻の椅子」など象徴性と空想性に富んだ作品が多くていい

病みおれば遠ざかりゐてかなたなる人と人とのさかい目も見ゆ
本あまた枕べに積みて臥す君が注射せし痕の痛みを告ぐる
ひつそりと残雪ふみてもだしゆく傷つきやすき君と知るゆゑ

など、書物を読んだ歌だったり後に離婚した夫との恋愛を主題した相聞歌も儚さと怜悧なリアリズムがあって好き。そしてどこか齋藤史を彷彿させる次の歌もいい

水底の藻屑とふ語にもあこがれき死は美しと思ひゐし日々

デリダが「いかにして語らないか」(『プシュケー』)という論文書いてるの知らなかったけど、たまたまネオプラトニズムの教科書に出てきた
岩波から出てるけどさすがに文庫化されなそう

正円であることから楕円の方に移行するバロック的な逃走というか、敗者の想像力(山口昌男)というか、虚栄心を捨てて傷を生きる(ブスケ)ための技法がケアとしてのレトリックという感じで誰か書いてないかな

よく学校文法から逸脱した文章を前にして「主語が抜けてる」とか「主語と述語が対応してない」とか品詞が云々とか言うことがあるけど、そういう逸脱を前にしたときに四角四面に否定するのではなく、レトリックの一端として、例えば省略や誇張や濫喩などとして解釈しなおすことで受容する態度みたいなのがケアであって、そういう解釈の技法を身体や空間の方に拡張していくことで、倫理は暴力であるという同時性を抜け出せるし、そこにこそ単なるポレミックなものを超えた新しいレトリックの役割があるという気がする

ていうか、花田清輝、澁澤龍彦と受け継がれていったバロック的な楕円(エリプセ)の思想って文字通り省略法(エリプセ)の問題だったのかもしれない
敢えて正円にはいかないところにそういうマニエリスティックな発想というか、アベラシオンとかでもそうだけど、何か生きる技法みたいなのがあるのかもしれない

塚本邦雄が一首の短歌でどれだけのイメージが捨てられたかが大事みたいな話してたけど、文章を主として絵画でも漫画でも彫刻でも作品全般において、何が省略されているかというか、表現されているもの以外のものを如何に表現しないかという修辞法上でいう省略法(エリプシス)が、作品あるいは表現にとって本質的で、
そこに現れているものを交差的な経験として、無いものを読み込んでいく創造的な誤読みたいなものを、単に解釈の問題と言うよりは編集的な問題として省略のうちに相互作用を仕込んでいくのが大事みたいなことを一言で言いたい
っていうのをついさっき思ったけど、いやこれめちゃめちゃ当たり前の事を言ってるだけだなとも思い、でもそういう自明のことが異化されるのが頓悟の妙みたいなところあるよねって書いていくうちにどうでもよくなっていく事象が発生しました

フィネガンズ・ウェイクの面白さは言語や翻訳そのものの面白さが強いところがあるので、いきなり読んで面白いと感じられるかどうかは保証しづらいけど、柳瀬尚紀の『フィネガン辛航紀』『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』を先に読むのがいいかも
(原文と翻訳を比べるとわかるかもしれない)
あとは鶴岡真弓『聖パトリック祭の夜』(後、改題して平凡社ライブラリー収録)あたりを読んで『ダブリナーズ』か『若い藝術家の肖像』を試しに読んでみるのがいいかも

遂に復刊なった『フィネガンズ・ウェイク』あんまり売れてないっぽいけど、版元は在庫僅少らしく『百年の孤独』がこんなに流行るんならフィネガンももっと売れてほしい

昨日に続き松岡正剛
本としては全体的に議論が尽くされてないところがあるけど、そんなことより大手拓次論があるのがいい
吉田一穂とか大手拓次、富永太郎、日夏耿之介、塚本邦雄あたりを評価しつつ吉本隆明や吉増剛造には辛口なのもいい
萩原朔太郎にとっての霊感源が大手拓次で、塚本邦雄にとっての杉原一司。改訂版の全集が出てほしい

北川冬彦の「馬」という題の一行詩

>軍港を内臓してゐる。

斬れ味が鋭すぎる

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