夢に楽俊(ねずみver.)出てきてびっくりした
今週白銀再読を始めた!すごくゆっくりな再読になりそうだけど、最後まで辿り着きたいな
現在三章まで読んだところなんだけど、「メモは手書きではなく打ち込んだほうが後々検索や引用しやすいから良かったのでは!?」ということに今更気づいた…ばか…次から打ち込むか…
十二国記長編の好きな順、結構その時々で変わるんだけど、現在は
図南≧海神>(魔性≧)月の影>風の万里≧風の海≧黄昏>白銀
かな…?魔性は先々月の再読のおかげでいまは特に高い気がする
常に明るい物語を求めているわけでは全然ないんだけど(たとえばミュージカルなんて、特別に好きと思っている作品は悲しいものばかりかもしれない…)
十二国記の長編について言えば、私は生きる中での光みたいなものを求めている部分が大きいのかもしれないとも思う
いまのところは、私は十二国記の長編の中では白銀に対してが1番好きさが薄い。もちろん好きではあるし、面白かったし、本当に読めて良かった、幸せ、と思っているんだけど、読み終えたあとの気持ちが、他の長編に比べて光を信じきれてないみたいな感じ・もやが晴れない感じがあるからなのかも
「実は常世は昔の中国とは結構違う世界。服も家具も何もかもの文化が中国とはかなりの別物。呼称や用語は中華風に翻訳されてただけ」という説も考えられるかもしれない?とも考えてみたけど(平成の高校生の陽子が、なんとなく東アジアっぽくて和風とは違うものをざっくりと「中国風」って思ってても不思議ではない。つまり全部がミスリード)、
そんなふうな世界の仕掛けがあるとしたら、十二国記で今までその種明かしをしないことには相当な理由があるということになると思うし…いまからそんな方向の物語が書かれるとは考えにくいと思う
それに、小野先生が常世の世界について「自分にとって異世界といったら中国だから」みたいなことを発言してらした(と思う)からそれはないかなあと思う
私は「天帝(あるいは真の創世者が他にいるとしたらその存在)は古代中国を理想とする未来人、もしくは時間を超越した存在」と妄想することが多い
六官制は周礼にならったものだし、崑崙の呼び方が『漢』だから、創世者は漢の人では?と思う→でもそれにしては、椅子文化なところや、服飾にかなり新しいものもあるっぽいのが気になる→創世者は漢よりずっと後の時代の人では?
というのもこの考え方のベースにある。だから今回ますますそう思うようになったかも。つまり、「創世のときから常世では現在の常世と近い家具を使っている」「創世のときに天が好ましいと考える文化を常世に設定した」という見方
十二国記について話すことが多いアカウント
尚隆と六太が特に大好きです。図南の珠晶も大好き。他の登場人物も各国いろいろ好き
常世について考えるのが好きです
SNSの使い分け方など、詳しくは固定トゥートに(予定)
十二国記関連が7割くらい。Xよりは少しだけ雑記も増えそう
トゥートは全体公開が多いですが、ときどきフォロ限も使います。なんとなく検索避けしておきたい感想のときなど