先週末からメンタル落ち気味なんだけど、季節の変わり目だもんな。
子が読んてる漫画に「考え続けろ」って書いてあった。
右派も左派もその他どの主義主張の人も、たぶん自分は考えてる方だと思ってるんだよね。で、敵対する相手方は自分で考えていない、怪しい情報を鵜呑みにしてると思ってる。
どちらも、考えるときに参照する情報が違うだけなのかもね。「見えてる世界が違う」ってやつ。
そこをうまく共有する手段はないもんかね…。本来は 言葉 がその役割を担うはずだったんだと思うのだけど。
クルドの女性たちが作ったアクセサリーを販売しているHarikaさんが、この度のトルコ大地震緊急支援商品を販売しています。
売り上げは現地の支援のために使われます。
よろしくお願いいたします。
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過去の自分と真摯に向き合うということ。それは時にものすごく重たいことだけど、逃げずにちゃんと見つめないといけない。そしてそれを未来に繋げていかなければいけない。
これ、香山リカの渾身の記事だと思う。過去を見つめ、間違いは間違いとして受け止め、未来への責任を引き受けること。真剣だし、とても重たい。でもその重たさの中から希望を拾い上げることもできるのだ。
日本中に蠢く "異なるモノ" に対する嫌悪や疎外の根源は、ひとえに「恐怖」だ。
世界から見れば異様なまでの潔癖さも、表面的な柔和さも、病的なまでの集団協調も、全ては恐れから身を護るための方便なのだと思う。
オイラは子どもの頃からずっとそう考えているし、常にそれを感じて生きてきた。
オイラには人々の「恐怖」がまったく理解できない。
皆、何をそんなに恐れているか? それは恐れなのか、それとも畏れなのか?
「もう決まったことなら仕方がないですよね」という台詞が法案成立前から出てくる。
権力者=政府(お上)に逆らう奴はどこかおかしい。政府=「お上」が言うんだから従う他、仕方がない。と堂々と言う人がメディアにもネットにも溢れている。
主権者は自分たちであり、公職につくものは我々から付託されているに過ぎない。ということを忘れている。
日本で多くの人が感染を恐れてマスクをしてうろうろしているのより、首相とその周辺の高級官僚が「LGBTQキモい」とかコソコソ言っている方が遥か猛烈にG7で(というか世界で)恥どころか「先進諸国・自由主義世界と足並みをそろえていない」ってことを、たぶん理解してないんだろね。思ってもいない。そこが問題なのである。
そうえいば国連拷問禁止委員会で日本の人道人権大使が「シャーラップ!」って怒鳴った件があったな(人権人道の大使だぜ)。もう10年も前なのか。政治や省庁の偉い人、50歳以上は一斉に隠居したほうがいい。
https://www.huffingtonpost.jp/2013/06/10/ueda_n_3418262.html
「教員職自体の人気は衰えていない。受験のチャンスを増やすことで、より多くの人に応募してほしい」とは…。都教委の現状認識は極めて甘い。
現場の教員は何から何まで仕事を押し付けられて疲弊しきっている。誠実な教員であればあるほど…。
公立学校の教員には時間外手当が無いことを良いことにして管理職は児童生徒を盾にして教員を追い詰める。身の交わし方を心得ている熟練の教員はもはや若手を庇ってやるだけの余裕はない。ということで希望に燃えて教職に就いた筈の若者は自分の職業選択を間違えたことにほどなく気づく…。
教職課程を履修する学生は驚くほど減った。都教委の如き小手先の「改革」では何の解決にもならないと思い知るべきだ。
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志願者が減っているから…東京都の教員採用試験、大学3年から受験可能に 「現場に魅力がないと」の懸念も:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/229210?rct=life
「発言を撤回」というのも妙な話で、一度口から出た言葉はもう戻らない。「撤回した」といえばなかったことにして貰えるという幼児的な甘えだな。いつからそんな幼稚なことが容認されるようになった?
思ったけど、カナダでは「出生率を上げよう!」みたいなことを聞いたことがないなあ。もちろん少子化によって、たとえば年金の受給年齢が上がる現実とかそういうことはあるけど、なんていうか…子を持つか持たないかはあくまで本人が決めることであって。
児童手当とか、今は保育料が高すぎるから安くするぞ!というニュースとか、そういうのは「少子化対策」ではなくて、あくまでも「子どもを育てるということはお金がかかる、そこに対して政治がサポートをするのは当然」という気持ちから自然に生まれてくるものである、というか。
たとえば電車に乗っていてお年寄りに席を譲る行為とかもさ、「自分が年寄りになったときのことを考えて席を譲ろう」とかじゃなくて、そんなこと考えなくてもみんなやってる「困ってる人を見たら助けよう」という当たり前の考え方であって。別に見返りを求めてるわけじゃないのね。
でも日本だとどうしても「泣いてる赤ちゃんに文句言うな!お前も赤ちゃんだっただろうが!」みたいな、そういうバーター的な考え方に落とし込まないと納得?説得?されない人が多いよな、って思う。
若者が日本から出て行ってるというNHKの番組があったけれど、日本の富裕層も子どもを海外に早くから出している。知り合いの日本の大学教員なども子どもを海外に送っている。
イタリアは頭脳流出の国で、日本もそうなるんだろうけれど、イタリアはそれでも家族が大切な単位で社会は暖かく、EU圏の大国としての立場がある。しかも、ローマ帝国以来の凋落の歴史があり、文化的なストックの総量と影響が日本とは桁違い。日本は落ち始めると底がないと思う。システムが崩れ始めると、どうやって止めることが出来るんだろう。米国もシステムレベルで崩壊し始めているけれど、あちこちの水漏れを覇権で塞いでる感じ。で、実は症状を悪化させてるだけ。
日本の近代国家はベニヤ板造り。建てるのは速かったけれど、崩れるのも速い。結局、1980年代のバブル期が頂点で、あとは衰退。90年代前半には、自民党内にも問題意識を持ち、なんとか日本を軌道修正させようとした政治家がいたけれど、もう党内はお気楽な3世議員と安倍晋三がリクルートした変なのばかり。
小沢一郎みたいな腕力と根性のある政治家がいないと自民党政権はひっくり返せない。だから、自民党があの手この手で彼を叩いたのに、国民はまんまとそれに乗り、日本政治改革に尽力した小沢は隅に追いやられた。哀れである、日本が。
日本人は加害者で、加害の歴史を積極的に継承しない限り日本のやったことを自然と忘れていき、自然のままの愚かさで自分が忘れたのだから相手も忘れてくれたと思ってしまう。しかし kempeitai などという単語がどこでもそのまま通じるぐらいで、マレーシアのトゥルッ・インタン Teluk Intan で小学校の校庭にある変な階段状のなにかの由来を調べると校舎が憲兵隊本部だったことと、その階段もどきが水責めの道具で、憲兵隊本部で水を飲まされることを「トーキョーワインをごちそうになる」と言いなわらしていたことが分かる。水で膨れ上がった体が痛めつけられ、体中の穴という穴から水と血が混ざった液体が噴き出したからだ。
【Reminiscence 27 (San Min School) http://telukansonchildhood.blogspot.com/2015/05/teluk-anson-san-min-school.html
東京を離れ、山の側へ。あと半年くらいはここの暮らしのことをドヤってると思います。
子2人、猫2匹。子1は不登校。
フルリモートのプログラマ、興味関心は教育・農業
twitterから来ましたが、名前・アイコン変えてます。