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R sekiguchi さんがブースト

まあマジで尻に火がつくまで変わらんだろう。まだ絶望が足りてないというのはそういうこと。「気にせざるを得ない人たち」や「気にすることを選んだ人たち」は十分に絶望を味わってるわけで、マジしんどいんだけど。

まあけど、「気にせずに済む人たち」もいずれ尻に火がつくわけで、そのときにオルタナティブがあるってことはとても大事で。今のうちから、「オルタナティブはあるよ」ってデカい声で言い続けておくのも大事。
そういう意味において、やっぱり何も無駄じゃあないと思うんだよね、今回も。

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R sekiguchi さんがブースト

「気にせずに済む人たち」は、ほとんどの場合、ギリギリまで「気にせずに済む」という特権を手放さないもので。まあそういう人たちが形成してるのが「無党派層」とか「ノンポリ」とかだったりするんだと思うんだけど、彼/彼女らの政治的な行動(行動しないことも含む)は、ただの無知とか無関心の産物ではなく、もっと積極的な特権の行使なんだよね。
そして、それはそれで、個人的な快楽の総量=不快さの低減という意味においては、ある種合理的でもある。残念ながら。

クソ上司クソ会社にこきつかわれてヘトヘトになって帰宅してなんとかメシ食ってクソ短い睡眠とってまたクソみたいな労働にいく、そんな生活をしている者に「政治のこと考えないお前はクズだ」とか言ったらどうなるかくらいわからないのかな。疲労困憊で努力も報われない苦しみから逃れたいがために差別やヘイトに悪ふざけで加担したりする者もいるわけで、その行為自体を許す必要は一切ないけども、その苦しみを知ろうともせずに「言い訳をするな」とぶった斬るのは、自己責任論となにが違うのだろうか。そういう疑問すら抱かずに馬鹿無能愚かなどと罵り続けていても、我々に明るい未来などやってこない。

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「なんでおめえは勉強できねえんだよ?馬鹿なのか?」と勉強のやり方がわからなくて困っている者に言ったら勉強嫌いになるの当然なんだけど、それがわからないリベラル・左派が多いからなかなかノンポリ層が仲間にならないわけで......。でもTwitterだとそういう「無知」「無能」「馬鹿」「愚か」と評して切り離すような投稿ほどウケるから、そういうのばかり伸びていくし、ゆえにその投稿がノンポリ層にも届いてしまい、知らないうちに距離を取られている、という想像が容易にできる。

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Twitterに久しぶりに長文投稿してきたけど伝わるだろうか。それともストレートに「石丸や暇空に投票した者らを馬鹿にして他者化して切り離すような言動をしているうちは、かれらの心変わり=投票先の変更は叶わない、つまりリベラル政党など誕生しえない」と言わないとダメかな。

みんな『三体』読んだほうがいい。ぜったいに長生きしてやるぞ、という気持ちになると思うから。これは選挙のたびに言ってる。たったひとりの人間のたったひとつの行動や選択が、数世紀も先の世界に影響を与えるのだという、その可能性を信じたくなる。というか、それを信じなければなにもできなくなっちゃうでしょう?

R sekiguchi さんがブースト

もう少しいけると期待したけど、まあ仕方ないでしょう。ひとり街宣が発動したのはラスト2週間で、長年の世論がそれで変われば苦労はしません。テレビは当日に嘘までついた。よって、運動した人が悪いという奴は全員嘘つきです。単純に敵が強いだけなので、味方の犯人探しはやめるべき。

だから暇空や石丸のような存在にファンがつく。努力しても報われないクソな社会で生きるしかないのが辛いからこそ、簡単に楽しい思いができるコンテンツに手を伸ばす。努力などしなくても報われる生き方に惹かれてしまう。かれらの行動の根本にあるのは「おまえなに本気になってんのwwwwww」だ。「報われもしないのにがんばってどうすんだよwwwww」と努力をする者を嘲笑う。だから勝ち馬にのる。

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まっとうなことをしようとしたり、難しいことをしようとして、つまり努力をした結果うまくいかなかった者のことを嘲笑うのは、最もインスタントでハイコストパフォーマンスな快楽獲得方法でもある。ゆえにそのような楽しみ方をしている何者かを目にすると、努力をしても報われないことに嫌気がさしている者はそっち側になびいてしまう。SNSはその悪循環の坩堝になっているのだと思う。

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悪ふざけの効果はすぐに出るが、「まっとうなもの」が報われるのには時間がかかる。ゆえに我々に必要なのは常に忍耐力であるとも言える。

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Twitterで「蓮舫3位」のトレンドを見るとわかるように、悪ふざけをすることに人生を絡め取られている者らは、我々が負けて落ち込んだり悔しがったり絶望したりするのを見て楽しんでいるし、それを期待して煽っているので、そういうのは無視をして淡々とまっとうな主張を続けたほうがいい。

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選挙でクソな結果が出るたびに300年生きて世界が変わるのを見届けてやろうという気持ちを抱きますね。

暑くて家から出れないもしくはがんばって街宣とかしてるんだろうな、と確信できるほどにこの数日間お店に人がやってこない。報われてえよなあ......マジで......。

だから飯田橋という場所でまっとうな政治運動がなされている、という景色を見た学生がいるであろうことは、とても大事なことだと思うわけです。印象が変わる可能性がそこに生じた、ということなので。こういうのはすぐには効果は出ないけど、数年数十年かけて変化を生み出すはず。私がいまこうしている理由のひとつも、たとえばアジカン・ゴッチの活動(フューチャータイムズとか)を目にしたからだったりする。

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知識を与えられないままあの環境で過ごしていたら、「デモ=迷惑なもの」「政治運動=なんかやばそうな奴らがやるもの」というイメージを学生が持ってしまっても、学生を責めることはできないと思うんですよね。だって実際に正門封鎖されたりして迷惑だし、変な着ぐるみ着て当時の総長の顔写真を載せた神輿をかついで学生センターに突入する、みたいなことやってたりしたので。若者だったりノンポリだったりが政治運動を嫌うのには、こういう理由もあったりするということは、リベラルは認識してほしいとも思いますね。

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田淵さんがひとり街宣してた飯田橋は私が学生時代を過ごした思い出の土地なので、景色が想像できていろいろな感情が渦巻きますね。お疲れさまでした......。

靖国と朝鮮総連が隣接するという複雑な立地のうえ、あまり近づくべきではないタイプの「学生運動」の残滓が常日頃から正門前でデモをやっていて、大学側もそれへの対応に苦慮している(大規模なものをやるときは警察が出てきて正門が封鎖される)、みたいな景色を見せられ続けているため、市ヶ谷キャンパスに通う法大生は「政治運動」に対する意識が「近づかないほうがいい面倒なもの」になりがちだと感じているので、その意識が少しでも変わるひとり街宣になってくれてればいいな、と思うんですよね。ほぼ政治に関する知識のないまま「わけわからん学生運動」「とそれを危険視する大学側」という構図を見せられるので、政治運動に対する第一印象が最悪な環境なのです......ソースは私。

毎年夏になると暑さに慣れるまでずっと断続的な熱中症みたいな感じになるのだけど、それが始まっている感覚がある。身体の順応期間。つらみ。

本をしこたま発送して開店準備もしたので、あとはアイスを食べるだけです。

この暑さでお客さんが来ると思うなよ!!(暇すぎてzoom取材まで受けられちまったぜ)

仕事がおわらん。なんもおわらん。なんもなんもなんもおわらん。(向井秀徳風味)

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