「気にせずに済む人たち」は、ほとんどの場合、ギリギリまで「気にせずに済む」という特権を手放さないもので。まあそういう人たちが形成してるのが「無党派層」とか「ノンポリ」とかだったりするんだと思うんだけど、彼/彼女らの政治的な行動(行動しないことも含む)は、ただの無知とか無関心の産物ではなく、もっと積極的な特権の行使なんだよね。
そして、それはそれで、個人的な快楽の総量=不快さの低減という意味においては、ある種合理的でもある。残念ながら。
Twitterに久しぶりに長文投稿してきたけど伝わるだろうか。それともストレートに「石丸や暇空に投票した者らを馬鹿にして他者化して切り離すような言動をしているうちは、かれらの心変わり=投票先の変更は叶わない、つまりリベラル政党など誕生しえない」と言わないとダメかな。
選挙でクソな結果が出るたびに300年生きて世界が変わるのを見届けてやろうという気持ちを抱きますね。
田淵さんがひとり街宣してた飯田橋は私が学生時代を過ごした思い出の土地なので、景色が想像できていろいろな感情が渦巻きますね。お疲れさまでした......。
靖国と朝鮮総連が隣接するという複雑な立地のうえ、あまり近づくべきではないタイプの「学生運動」の残滓が常日頃から正門前でデモをやっていて、大学側もそれへの対応に苦慮している(大規模なものをやるときは警察が出てきて正門が封鎖される)、みたいな景色を見せられ続けているため、市ヶ谷キャンパスに通う法大生は「政治運動」に対する意識が「近づかないほうがいい面倒なもの」になりがちだと感じているので、その意識が少しでも変わるひとり街宣になってくれてればいいな、と思うんですよね。ほぼ政治に関する知識のないまま「わけわからん学生運動」「とそれを危険視する大学側」という構図を見せられるので、政治運動に対する第一印象が最悪な環境なのです......ソースは私。
本屋lighthouseのナカノヒト。おぺんのおともだち。