ビジネスで成功するためにはSNSでバズることが要件となってしまったため、バズりを狙った企画や宣伝が精査されることなく濫発されるようになり、結果として壊してはいけないものを壊しまくっている、というのが現在進行形の社会の状況なのだろう。
『本屋・アナキズム・革命』
【序文】
とっくの昔に答えは出ている。我々は、はたらかないでたらふく食べれるようになるべきなのだ。不労所得、ということではない。不労無得でよい。あるいは、不労無得がよい。なんも得ずとも、生きていられる。そこを基本条件とすべきなのだ。
もちろん実現は簡単ではない。現状の社会システムが邪魔をする。夢物語だと嘲笑されもするだろう。しかし大谷翔平がメジャーリーグで50-50などという大記録を達成したのも、幼少期になんらかのとてつもない夢を抱いたからにほかならない。まずは大志を抱け。そののちに道筋を考えよう。いったい誰が、二刀流の野球選手がメジャーリーグで前人未到の記録を連発するなどと予測できただろうか。おそらく大谷本人だけがそれを信じていた。そして歩き続けている。
ならば我々にもできるはずだ。不労無得で生きていく。はたらかないで、たらふく食べたい。ホームランなど打てなくてよい。打ちたい者は打てばよい。公園で石を積みつづけたい。無駄。鼻毛の長さを誇るべし。無為。本を読んでもよくわからなかった。無能。しかしそれでも革命は、いつでも始まりを待っている。憧れるのはやめられない。
はたらかないでたらふく食べれるのがいちばんだろうが!答えは出てんだよ!ふんぬ!
こういう揶揄みたいなの、いわゆるノンポリ層つまりこの国の大多数の「ふつうのひと」からすると端的に「嫌な奴」としか思われないので、やめたほうがいいですよ。嫌な奴の話は聞きたくないでしょ。ノンポリ層に変わってもらいたいなら、こういう振る舞いをやめるところからだと思います。
ここには共産党の抱えるジレンマがあると思う。困っている人を助けることを党の方針としているからこそ、現状の社会システムのなかで生きづらくなっている者が「助けてもらう→党員になる」という流れが生まれやすい。そして現状の社会システムが「対人コミュニケーションのうまさ」を必要とするものである以上、コミュニケーションが苦手な者が生きづらくなり、困り、共産党に助けを求め、党員やボランティアメンバーになり、ということになるので、いわゆる「空気の読めない」選挙応援をしてしまう可能性も増える。だからその個人を責めるべきではなく、システムごと変える必要があるのだけど、そのためには選挙に勝つ必要があり、そのためには対人コミュニケーションのうまい者が必要になり、というジレンマに陥る。
今回の選挙ではお店に公明党青年部的なひとたちがひとりも来なかったので、ちょいと寂しさがある。かれらはふつうにお客さんとして来て、おすすめの本教えてほしいなどをフックに会話もして、実際にその本も買って、会計後にはじめて「公明党なんですが」と切り出し、端的に「応援よろしくお願いします」的なことだけ言って去っていくので、悪い印象がひとつも残らない。
この点、ほかの政党は先に「○○党です」とか自己紹介しちゃうから(そのことは礼儀正しさとして評価すべきではあるものの)、スタート時点から「政治の話」として認識されシャットダウンされてしまう可能性が高い。
ということを応用するならば、リベラル政党が取り入れるべきことは
・まず誰もが納得するような/まっとうな話をする
・最後に我々は○○党なんですが、と所属を明かす
という手順なのだと思う。これを逆にしてしまうと効果がなくなる。政治の話をされると認識した時点でスイッチ切られるので。
選挙応援の依頼は保険営業以上に面倒くさがられてるということは、事実として認識してほしいですね。
勉強しない子どもに「なんで勉強しないんだ!」と怒る親や教師はよろしくない、ということを理解・認識するのが第一歩かもしれないですね。
やらないのではなくて、できないあるいはやりかたがわからない、あるいはそうすることを許されていない、などなどの状況に環境的要因によって陥らされているのだということに、我々「やれる」者はなかなか気がつけないので。
From: @gucchi_penguin
https://fedibird.com/@gucchi_penguin/113378960931838194 [参照]
本屋lighthouseのナカノヒト。おぺんのおともだち。