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イベント本筋とズレるから引用で繋げるけど、出版業界の権威主義は無自覚だからこそ手強いというか.......。自分たちにとって都合がいい存在がでてくるとすぐに「ありがたやー!」「さすが!」になって批判しなくなるし、その権威の意見に従ってればそれでいいとなる(福嶋さんのアリーナ論が「ありがたやー!」なのは、アリーナと言いさえすれば実質的になんもしなくて済むから都合がいいため)(ちなみに私もかつてはチヤホヤされてましたが、差別やら政治やらの話をしはじめたら急に寂しくなりました)。

From: @gucchi_penguin
fedibird.com/@gucchi_penguin/1 [参照]

どうやら本人も世代交代を望んでいるようなので、そうなるように18日は気張っていくわけだけども、世代交代するには業界からの「承認」が必要ですからね。期待はできない。そして世代交代したとして、今度は私が権威になってしまうのならまったくもってよろしくない。アリーナ論への批判と実践はいろいろな本屋がやっている、そういう時代になっているのだから、私の反アリーナ論だけを正解とみなすべきではない。

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正直、福嶋さんがかわいそうな面もあるんですよね。2010年代の出版業界で差別やヘイトについてここまで考えてかつその意見を外に表明してるの、福嶋さんくらいしかいないんですよ。だからアリーナ論という言説(と福嶋さん)だけが抵抗手段になってしまったし、参照すべき権威になってしまった。だからいまだになんらかの差別ヘイト事案が起こると福嶋さんに意見を求めるメディアが現れるし、福嶋さん以外の意見は「その他匿名」の意見としてしか扱われない。福嶋さんがいまだにアリーナ論を提唱してるのは、批判する人が業界内にいなかった、いたとしても「権威」じゃないから無視されてたのが原因だと思う。

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本の中ではもちろんだし、SNS上でも「差別とたたかえる」のはある程度の力や地位を持っている者なんだけど、むしろまなざすべきはそのたたかいに参加できない/すべきではない者らがいる(がそれは不可視化されている)、というそのことなんだと思う。

でも、反差別への意識があればあるほど「ヘイターvsカウンター」というような図式のたたかいばかりを見ることになるから、この世には「自分(の言葉)でたたかえる者」しかいないように思えてしまうのかも。だから「アリーナでたたかえ(ば勝てるはず)」になる。

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福嶋さんの本を読んでると、私よりもずっと差別やその周辺のことに関する知識があって、だからなんでこの人こんなに「距離が遠い」のかが疑問なんですよね。その答えのひとつが「本を読める/本屋に来れるのは(知的)特権階級でもある」ということを理解してないことにあるのかも。人間というものはみな本を読めるのだ、と思ってる節がある。読めるというのは、文字通りに読めるということと、「書いてあることを正しく理解できる」という意味の読める、この両方。むしろ、ほとんどの人間は本など「読めない」し「読まない」と思うんだけどね。

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なんらかの本の形になって世に放たれているものは、なんだかんだでそれだけの「権威」や「地位」があるからこそできるもので、本に書かれたマイノリティの言葉だけを読んでいても「実態の理解」は完全にはできないんですよね。もちろん、「SNSに投稿できる」ということも同様。SNSにすら姿を現せない状況に追い詰められてる者がたくさんいるし、もう存在しない者もたくさんいる。そういう「重み」を業界人は体感することがない。本という知的特権を享受できるエリートだから。

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〈募集〉
「言論のアリーナ」的な書店(もしくはそれ以下のただの無頓着書店)に行ったときにどのような気持ちになるか、あるいはなぜそのような場所には行けないのか。もしくは、書店店頭にかぎらず、差別がいたるところに存在する社会において生活をしなくてはならない、そのことがもたらす各種の苦痛や実害。

みなさんの声はイベント時に共有できればいいな......と思っています。マイノリティとしての地位を規範や社会環境から押し付けられてしまっている者がどのような生を強いられているのか、業界人の多くは知らないので。

要領をえない文章でも大丈夫です。返信やbooks.lighthouse@gmail.comまで。もちろん匿名でOKです。

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福嶋さん、たぶんSNSなんてまともにやってないよね。この「距離感の遠さ=他人事感」はそれが原因なのかも。福嶋さんは「SNSなんかやらなくてもいい」特権を享受してるとも言える。逆に、マイノリティは「SNSをやらざるをえない」状況にある(場合が多々ある)。そしてそのSNSの場で差別を受ける。書店の店頭や書籍の中で起きていることしか認識できていないのではないか。

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群馬県知事の所有する私邸を撤去してその費用を知事に請求しよう。

R sekiguchi さんがブースト

@trochilidae あ!またこの時期がきましたね!笑
数ヶ月に一度サーバーの再起動が必要になるっぽくてですね......いまから作業しますね!

オースターは『最後の物たちの国で』という、オースターっぽくない小説しか読んだことがない......けどおもしろいのよね、これ。白水社、重版しないかな。

hakusuisha.co.jp/book/b205577.

興味がない、または単純な認識ミスであっても、マイノリティに関する事柄であれば、それは当事者にとっては致命的な加害になりうる。それを防ぐための注意喚起は、十分すぎるほどやってもまだ足りない。なぜなら我々は興味関心のない物事はテキトーに認識するから。

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大谷翔平の所属球団を間違えることは悪意からではないし、私の名前を読み間違えるのも知性のなさからではない。単に興味がないだけ、あるいは単純な認識ミスである。これらのミスはたいしたことではないが、マイノリティに関する誤った知識を「事実として認識する」ことになり、それをそのまま他者のいる場=社会において拡散した場合、それはその者に悪意がなくとも加害になる。

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知性があればそれをヘイト本であると認識できるはずだ。読者の知性を信用しろ。言論のアリーナを否定する者は読者の知性を見くびっている。というような意見が寄せられることがあるが、そもそも「それがヘイト本であると認識できる」だけの知識を得るための余裕がない者も多くいる。そしてそんな状況を作っているのは社会=政治であり、政治そのものが我々の生活を豊かにする役割を放棄して、かつヘイト言説を撒き散らしている以上、「我々読者には知性がある」という認識は、やはり強者の認識である。

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言論のアリーナにしていれば、自ずと正しい意見=差別ではない言説が選び取られるはずだ。という認識は、あまりにも我々の「認識能力」を過信している。これは「知性の有無」の問題ではなく、認識能力の問題であり、認識能力は「興味関心のないもの」に対しては無意識のうちに低下する。言論のアリーナを構築するのならば、それを前提としなければならない。
また、我々は想像以上に見ていないし読んでもいない。お店の外に「CLOSE」「営業時間外」という看板を出していても入店してくる者はたくさんいるし、「関口竜平(せきぐちりょうへい)」とふりがなを振っても「りゅうへい」と読む者がたくさんいる。我々人間の認識能力を過信してはならない。これはその者の知性を見くびっているわけではない。

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我々はみな、想像以上に「見ていない」し「読んでいない」し、知らないことのほうが圧倒的に多い。大谷翔平が野球選手であることを知らない者もいるし、それは知っていても日本での所属球団が千葉ロッテマリーンズであったことを知らない者は多い。大谷翔平でさえこのレベルなのだから、たとえばトランスジェンダーについて存在(概念)自体知らない者だってたくさんいる。むしろ多数派であろう。なお、大谷翔平の日本での所属球団は千葉ロッテマリーンズではなく北海道日本ハムファイターズだが、私がいまここで誤りを正さなければ「マリーンズである」と認識したままの者が生じたはずである。我々は、興味関心のない物事について得た情報はテキトーに認識するし、自主的に情報をアップデートすることもない。
ゆえに、マリーンズのユニフォームを着た大谷が表紙になっている雑誌とファイターズのユニを着たそれが隣に並んでいても、どちらを「正しい大谷翔平」と認識するかはその者次第であり、マリーンズの大谷を正しいとする者が現れることを防ぐことはできない。

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現状、チェーン書店の現場で展開されている「アリーナ」は、

・福嶋のアリーナ論を知っているがゆえにそれを目指してはいるが、自らが「気にせずに済む者」であることに無自覚なまま作られる、実際には「悪意のあるヘイトスピーチという無敵の言論vs問答無用で引きずりあげられた丸腰のマイノリティ当事者」というアリーナ。
・福嶋のアリーナ論も知らないし、その本がヘイト本であることも気がつけない(ほどに各種余裕のない生活を送っている)書店員によって作られる、単なる無造作なアリーナ(当然そこでもマイノリティが丸腰のまま引きずりあげられている)。

であり、いずれにせよ福嶋が理想としているであろうアリーナと、そこから導き出される(ことを期待している)結果は得られていない。

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言論のアリーナ=民主主義の場を成立させるには、その前提条件として「その場に誰もがいられる」環境=セーファースペースを作る必要がある(実際にはそんな環境は成立不可能ではあるが、だからこそそれを目指さなければならない)。言論空間に参加することができない者がいる以上、そこは言論のアリーナではない。
しかし、福嶋の言論のアリーナ論を知っている者の多くは、高価な人文書を買えたりそれを読んで理解ができるだけの能力がある者に限られている。いわば我々は知的特権を享受できる強者であり、そんな強者からは「認識できていない」世界に生きている者、生きることを強いられている者がいることを、我々は認識しなくてはならない。我々が「十分に安全だ」と思っているアリーナは、かれらにとっては決して安全ではない(が、「気にせずに済む者」である我々はそれに気がつけない)。

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反差別の実践を「気にせずに済む者」の知的遊戯にしてはならない。言論のアリーナ論を肯定的に捉える者は、まず自らが「気にせずに済む者」であることを認識する必要がある。
言論のアリーナで「言論」どうしを闘わせているつもりかもしれないが、注釈をつけたり安全対策を施すなどの、シーソーの傾きをならす無数のパラメータ調整をしないままヘイトスピーチを闘技場にあげてしまうことはあってはならない。なぜならヘイトスピーチは、マイノリティ当事者を問答無用で闘技場に引きずり上げるため、言論という概念どうしを闘わせているつもりでも、実際には「悪意の塊としての言論vs丸腰の当事者」という状況を作り出すことになる。
その様子を観客席という安全地帯から観ていることを「反差別の実践」と呼ぶことはできない。それは反差別の「実践」ではなく「論評」であり、冷静に状況を分析する自分という知的遊戯に酔いしれているだけである。

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