木原音瀬「惑星」-第1回-|HB ホーム社文芸図書WEBサイト hb.homesha.co.jp/n/nfabfd52aee
これすぎるBT

本編完結まで追っかけたけどなんとも言えん嫌さがどうにも解消されない苦しいばかりの内容で抑圧と解放のセットとしてのカタルシスのない「どんなにめちゃくちゃでもまあ普通人生ってそのまんま続くよね」的な終わり方だったな 書籍化の際の書き下ろし部分で救いがあってほしい

「親から『お母さんお父さんは宇宙人なのでいつか自分の星から迎えが来ます』と言い含められて育った要支援の子供がそれを信じたまま福祉に繋がるタイミングも逸し続けて大人になったら」の話なんですけども これ打ち込んでるだけでしんどいな

一般文芸ジャンルじゃなくてBLジャンルで書いていたら普通に幸せにしてくれたんじゃないのか木原音瀬…そんなこともないか木原音瀬…他人を見下しつつ他人に阿るような魂の堕落しきったクズをツケを払わせる形でめった打ちにした後最後の数行までにはきちんとBLのラブの力でなんとかするBL職人としての木原音瀬を信頼しているけれどこんなに主人公本人がなんにも悪くないパターンもあんまないからわかんないな…

木原音瀬作品は発表媒体によって物語の行く末閉じ方に基準があるんじゃないかというのはたとえばBL「甘い生活」と一般文芸「Love Cemetery」でのそれぞれの児童性加害の描き方の違いから感じられると思ってて… 「悪行への報い」めいたものはBL作品ではあくまで主人公二人の間で私的な「愛」の枠内で取り交わされるけれど、一般文芸ジャンルで発表される場合人物を取り巻く「社会」のレンジが広く「そんな悪行『愛』でなんとかできるわけねえだろ」という視点がよりシビアに入ってくるというか…読者に対する誠実さの示し方に性質の違いがあるように思う

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だから「惑星」では「その人がいかに善良であろうが苦しいことには変わらないままわりとそれでも人生は続く」みたいな終わり方であること自体はね、よく考えたら普通に納得ではあるんだけど、初めから一人の人間との運命的な出会いで今までの全てが劇的に変わる恋のスペクタクル性なんか求めちゃいなかったけども、それにしたって主人公はマジでなんにも悪くないのに…って気持ちがループしてる

翻っては「Love Cemetery」の校長のエピソードでの「その人がいかに酸鼻極まる行為を繰り返した極悪人であろうと本人は反省も後悔もないまま生き続ける」というのも表裏で同じことを書いてるんだよなと思う BLだと「誰かとの人生」の比重が大きいところを「他者評価に関わらずそれがただそうある」状態を描かんとしているような気がする

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