TLのニューロダイバージェントは人の気持ちが分からないというのは何がソースか分からないけれど、私の場合は人の表情を読めないから「空気」が読めない。強いネガティブな感情をぶつけられると、それが怒られているのでも残念がられているのでも、何をぶつけられているか判断できる前にコワッって不安で逃げたくなって目の前真っ白になる。ポジティブな強い感情も、個人的に興味がある事じゃないと一緒にキャッキャできないからよく「冷めている」と言われる。他の人の強い感情について行けないけれど、自分の興味があることや大切な人の気持ちにはすごくエンパシーを感じる事ができる。
あと、これはある程度投影なんだけど、動物の表情や感情は読み取れると思ってる。動物とはめっちゃ仲良くなれる。動物には「空気」もクソもなくて、考えてる事、感じてる事が素直に表現されるからかも。
ある人が、自らが受けた社会的不利益に対する、合理的配慮を訴えていることに対して、「私も当事者だけど〜」と訴えている人の人格・存在否定や、自己責任・品行方正を押し付ける強烈な言説が多く流されていることは、この社会自体が取り返しのつかないぐらい、憎悪に満ち溢れていることを示唆しているのでは。
「明日は我が身」という返し方もそれはそうだけど、社会が今まで「人権」を大きく歪めてきた結果ではないのかと…。
今こそ、国際人権規約に忠実な政策、包括的差別禁止法、ヘイトスピーチ規制法が必要なのでは。
(この社会の現実を投影する真っ当な移民法・LGBTQ+差別禁止法…も)
また、やはり「特権性」(或いはそれを代替できる概念)をもっと噛み砕いた教育も必要なのでは…。
完全なるマジョリティはいないし、マジョリティ性・マイノリティ性の強弱が、いかに自分の社会的立場に反映されるかを、一人一人知っていればあんな言説が流れない社会になるのでは…。
とにかく、「私も当事者だけど〇〇に遭ったことない!」というような、邪悪な仮面を被った人達を当てにするべきじゃない。彼らは悪意を持った上で憎悪を振り撒いている…。
差別をやめろ、それに尽きる。
ヤフコメ見たら、障害者=わがまま、という馬鹿げたイメージに取り憑かれた人が多いことに恐怖を覚えた。
昔は障害者=純真で努力家みたいな、馬鹿げてるけど「悪意なき」マイクロアグレッション程度だった。ネットが本来不要な怒りを解き放ったんだ。
車いすユーザーは、お出かけ先で「介助されて当たり前」なんて思ってないです。だいたい恐縮しまくって心折れてます。もし思ってる人がいたら、たぶん超少数派です。
あなたが事故や病気で車いすユーザーになったら?
あなたが心折れなくて済むようにするのが社会のつとめ。
各地で人手が足りないのはわかる。めちゃわかる!
なら例えば、車いすが越えられない段差を埋めるスロープを(当事者に聞いてね)。補助金が出るかもしれないよ。 #改正障害者差別解消法 で合理的配慮が義務になるからね。
21世紀の分裂病質人格障害者