そーいえば、納豆!最近の納豆は、うまみ調味料が入ったタレが附属しているじゃないですか。あれがないやつを近所のスーパーで買いまして。
https://monolog.r-n-i.jp/item/4976577661882
ネギと醤油、カラシは家にあった水で練るやつを使ったら、小さい頃によく食べた味でした。納豆の香りが、いかにタレに紛れていたかがよく分かった。
単なるノスタルジーなのかもしれませんが、こっちのほうが美味しく香りが高いように感じます。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO84828100V20C15A3000000/
70年代の終わりごろには、藁にくるまれた納豆も売っていたような記憶がある。もっとも、スーパーのは格好だけ藁で、藁からの枯草菌ではなかったかもだけど…
焼き上がりでフライパンの蓋を開けたら、辛い感じの煙が上がってむせた。だからこれは異常事態だと思えばいいのに、万願寺唐辛子にも時々当たりがある、くらいに油断していたのが間違っていたようです。
辛い食べ物は好きな方だし耐性もあるほうだと自認していますが、非常に強い攻撃性のある唐辛子でした。やばい。冷めてからもお皿の上に顔が来ると、「目が〜」ってなる。なんというかもはや「辛い」という形容詞では捉えきれない現実です。「辛い」「熱い」「痛い」に「しみる」「まぶしい」「むせる」あたりも加わって、味覚・嗅覚と視覚まで攻撃できるマルチタスクなウェポンでした。
受粉を間違えると突然変異的なものになるらしいです。知恵袋、ほんとか知らんけど。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12114826492
食後二時間、まだ具合悪い
朝から庭木の伐採をやりまくったところ、居場所がなくなったカマキリ先生ににらまれた図。
本日は昼過ぎまでバッサバッサと切り倒して、さあ昼休みというところで、謎の流しの植木のおじいさんが3トントラックで通りがかる。「俺植木屋だけど、庭みてやろっか」、からの素人では伐採できない5メートルくらいまで育ったやつを綺麗にしてもらうことにした。
80歳のご老体でゆっくりゆっくり、午後いっぱい全部使って作業をしてくれている。作業しながら昔話もしてくれて面白い。「イチゴ」の頭高型アクセントで、やっぱり群馬ご出身の方だった。
埼玉も群馬も、語法はだいたい似ていて、若い人なら「あるみたいだね」というところ「あるようだよ」というのも、関東のやや古めかしい発音で気持ちがいい。「したんだよな」の「したんだいな」という発音も。暖かな午後の日差し、ゆっくりとしたおじいさんの手仕事、のんびりしたひととき。
その話し口は、あとで国立国語研究所の方言談話資料で確認してしまった。
これは読んでいて非常にしんどい。見えている「被害—加害」が周囲にもたらす苦しさ、それを丁寧に解きほぐそうとする回答者の苦しさ、その背後にある多重性みたいなものに胸が締め付けられる。
https://marshmallow-qa.com/messages/b760f529-96d9-4d30-b2b8-57ff16fc3b0c
(当事者でないとされる)タレントも、加害者/被害者のどちらでも捉えられてしまうように、ファンも加害者/被害者のどちらでも捉えられてしまう。ハラスメントとは少しでも関わった人たちを両義的な存在にしてしまうからこそ、罪が重いのだと思う。
「今苦しくて痛くてしんどくても、どうか外部の言葉を冷笑したり、乱暴な意見に迎合したりせず、どうして自分が苦しく感じるのか、なぜ被害者の言葉を信じられないのか、そういうことをたくさん考えてほしいです。そのことには絶対にぜったいに意味があります。」
いや、まったくそう。そうだけど、無謬で無時間的な「推す」行為が現実に曝されるのって、すんごいしんどいと思う。曝されずに済むならそうありたかったはずだし、そのためのエンタメでしょ。ファンも当事者とは次元が違えど、実はかなり爆心地に近いところにいると思う。
しかしなあ…現実を受け入れないと傷口はもっと悪化すると思う。こんなことを社会として許さないような価値観に我々はアップデートしていかないと。
武蔵野銀行の略称が「武銀(ブギン)」、人間科学部の略称が「人科(ジンカ)」というところから、略称になると元は呉音読みだったのに漢音読みになってしまう現象って、何だろうと考えている。すぐにでも思いつくのは、漢音読みのほうが一般的で汎用性が高い=言語学で言うところの無標だということ。
確かに呉音は、漢音の「行動(コウドウ)」に比べて、「行者(ギョウジャ)」など特殊な読み方が多い。
関連して読んでいた湯沢質幸『漢字は日本でどう生きてきたか』開拓社を読んでいたら、「京浜(ケイハン)」←東京(キョウ)が出てきて、なるほど路線名や道路名にもこの現象は多いなと思い返す。「京阪」「京王」「京成」すべてケイ。呉音とのペアでなくとも漢音で読む「名阪(メイハン)」なども類例か。
この本では、「埼京(サイキョウ)線」が特殊とあって、面白い。なぜ「サイケイ」ではないのか。いくつか説が上がっていて、「サイ」は実はサキがサ行イ音便化した訓読みなので、2字漢語を作るメカニズムにないというのにはうなずける。
略称を作るときには、何となく「漢語っぽいもの」を我々は無意識に作ろうとしていて、その「ぽさ」は漢音で表象されているようです。呉音は、語種としてはもちろん漢語だけれども、和語に近いということがここでも分かるということか。
日本語学の研究者です。漢字音史、漢語アクセント史を文献ベースで狭くやってます。自己紹介的な論文に、「アニメ『ドラゴンボール』における「気」のアクセント─漢語アクセント形成史の断線から─」(日本語学2022年6月号)あり。データベース作ったり、自転車に乗ったり、珈琲を飲んだり、ジャム作ったりしています。https://researchmap.jp/read0135868