お盆休みに娘とChants of Sennaar(Switch版)をプレイしました。ここ数年でぶっちぎりの面白さでした。バベルの塔らしき場所で、四つの異なる言語を話す種族の間に立って、それぞれの言語を解読しながら冒険していくゲームです。ヒッタイトっぽい文字やアラビア語っぽい文字、舞台は中東を模しているようでした。
ジェスチャーや指示対象から意味を読み取って、語を特定していくのが基本ですが、時折ロゼッタストーンのようなものが出てくるのも胸熱。記号の共通性を元に品詞を推測することも出来ます。さらに各言語、語順や修飾語が前置か後置も違うので言語学者は相当楽しく読解できると思います。
言語が相互に通じないから生じる文化的摩擦を、主人公がつないでいく様はスリリングでしたが、それ以上にイスラエルを巡る人類の困難を思わずにはいられませんでした。
最上階に住む民は他者との交流を奪われ、AIに統治されて仮想空間でゲームをしています。AIを倒してコミュニケーションを取り戻し、わかり合えない人たちを繋いでいく。相手を悪魔だと偏見のまなざしで見ていたのに、言葉が通じれば愛する隣人だと分かる。言語学者必須プレイのゲームじゃないですかね、これ。
ネタバレを含む考察サイトを。
http://blog.livedoor.jp/motovegalta/archives/35959539.html
コロナ後のお祭りだということで町はずいぶん気合いが入っている模様だが、商店街もずいぶん閑散としていて、アーケード街にはマンションもちらほら。昔ながらのお店の跡地をデベロッパーが買い上げたようです。人いきれの痕跡を至る所に感じる町でした。 [添付: 6 枚の画像]
墨田区から江東区を所用があってぶらり。ついでながら「のらくろ館」に立ち寄って、田河水泡のことなどを学ぶ。写真には加藤芳郎も写っていて、お笑いマンガ道場を思い出すなど。深川あたりなので、あさり丼を食す。水路などいかにも深川という感じがする。 [添付: 6 枚の画像]
「五(ご)」や「九(く)」は「九が」などの東京アクセントは、古く「日が(出る)」「胃が(いたい)」と同じアクセントであったと言われます。これは古いアクセント辞典を見れば明らかなことです。いま学生達と三省堂『新明解日本語アクセント辞典』の「アクセント習得法則」を読んでいますが、「九が」などという文脈はどんなだっただろうねと疑問に思ったりしていました。
それで、習得法則をお書きの秋永一枝氏『東京弁は生きていた』を弟子でありながら初めて開いてみました。これは明治期生まれの東京人へのインタビュー集で、いわゆる江戸の言葉が活写されている本です。そこに、地震占いのような民間伝承が載っていて、「九は病、五七は雨に四つ日照り、六つ八つならば風と知るべし」とあります。いわゆる不定時法で、九つなら深夜12時というやつですね。このフレーズのなかに、古い江戸のアクセントが残っているというわけです。(1/3)
日本語学の研究者です。漢字音史、漢語アクセント史を文献ベースで狭くやってます。自己紹介的な論文に、「アニメ『ドラゴンボール』における「気」のアクセント─漢語アクセント形成史の断線から─」(日本語学2022年6月号)あり。データベース作ったり、自転車に乗ったり、珈琲を飲んだり、ジャム作ったりしています。https://researchmap.jp/read0135868