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同じことばかり言ってるけど。5類以降、大学生はもちろんノーマスクが多いけど、各大学の講師控室に行くと、ノーマスクの先生が多い(教室の様子が見える場合でも授業中もノーマスクの教員が多数)。ノーマスクの人(学生)が大人数いる室内にノーマスクで行って長時間滞在して喋る、というのはお互いにとって最も危険だと思うのだけど。市民運動の集会等も、最近全然行けてないけど、写真や動画など見ると、屋内の集会でもノーマスクの人(ジャーナリスト、政治家、弁護士、大学教授、活動家等)がほとんど。普段は、自民党政権や、マスコミの政権寄りの報道を批判している人たちが、なぜ「コロナは終わった、マスクは不要」という宣伝はころっと信じてしまう(?)のか本当に不思議。

出産自体が安全だった時代、人類史上未だ一度も訪れてないよ。
自宅出産や助産院での出産ではなく病院での出産がメインになることで母子の死亡率を下げることができているというだけ。妊娠中という事実だけで、リスク判定のグレードはいくつか段階上がってるの。
リスク判定のグレード高いんだから、他の診療科に比べて「安全に前のめり」なのは、当然なんだよ。命の価値の差とかじゃなく、前提とされているリスクの差です。

まあ、各党が雪崩をうつには「正義」のインパクトがちょっと弱い気がしないでもないが、日本の政治はそのへんはあまり気にしないからね。

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斎藤と石丸あたりが新党を作ると、参政党、れいわ新選組あたりはもちろん、自民、国民、立憲くらいまでは合流してマクロン新党の再現みたいになるんじゃないかな。

身長161cm、体重41kgの女性 「お香典を払った月はご飯が食べられない」 物価高に対応した生活保護基準額の引き上げを|生活ニュースコモンズ s-newscommons.com/article/5472

末期の姉はガリガリクンばかり食べてた
それだけは受け付けてたんだよな

なんか思い出した

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レミケード投与終わった。
とりあえず楽になった。
ネクター飲みたい。

運動部しかなくて、ほぼ休みもない、謎に教員がやる気があるというクソみたいな環境だったからね。

根性がないとか人格形成がどうこう言われたけど、流されて部活やり続け、後輩いじめの伝統を続けた奴らと自分の意志で一人だけ部活やめたおれのどちらが根性があり、人格が優れているかなんて一目瞭然だろう。

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おれはド田舎の中学で全校生徒でただ1人、1年の5月で部活をやめて帰宅部になった。(やる気がないなら帰れ!と言われて帰ったので)

先生や先輩たちからは大いに嫌われたけど、次の年から帰宅部という選択肢できて卒業式には帰宅部の後輩からファンレターもらった!!帰宅部のエース。

昨日の兵庫県知事選、地域別得票率を見ると、都市部、特に人口の多い神戸市沿岸部で斎藤が稲村さんを圧倒。

 ここは安倍派幹部・裏金議員の西村康稔元経産相の地盤でもあり、ボランティア500人をはじめとする資源を集中的に投下、維新・闇の勢力も復活を賭けて「ここをぞ限りに」ーN国の立花も含めてー結集した、ということだろう。

 神戸市沿岸部は企業・大学も多く、当然人口だけでなく大卒の若年層も多い。従って、地方で負けても総合すれば僅差で勝利できた。

 また維新が「公式に」擁立した清水は25万票、斎藤の4分の1以下。上山信一は「維新の票を斎藤さんに集結させましょう」と絶叫していたが、これもある程度実行されたようだ。

 であるから、この選挙だけ見れば、まだ対応可能だったとも言える。

 しかし、「中の中の解体」に伴うファシズム化の傾向は、世界的な趨勢でもあり、東京でも「あの」石丸がファシズム地域政党を立ち上げると宣言している。これはまず次の都知事選狙いだろう。

 石丸個人は次の選挙までに「化けの皮が剥がれる」可能性が高いが、問題は「あの男」をプロデュースする勢力の資源の巨大さである。石丸がこければ、いくらでも「次」を出演させる。

 これに対抗できるとすれば、「リベラル」ではなく「ソーシャル」しかない。 

軍拡反対について今まで絡んできた人を見てきて総合的に判断すると「軍拡に理解を示す態度を取らないと理論的じゃない感じがするから嫌」なのだよな。「感情的!冷静に物事を見れない!これだから女は!」なのだよな…

東浩紀よりも飯田泰之の方がすごいな

近代的価値観は何度も相対化が試みられてきたが、これは近代自身がふたつの意志を内包していて双方が葛藤関係にあるなかでの試みだろう。
一つは膨大なエネルギーが(よくも悪くも)民主化され、皆がかつての王侯貴族のような生活を享受できるといったものであり、もうひとつは、その膨大なエネルギーの動員があまりに野放図に行なわれると自らの足元を崩してしまうが故の、持続性の為のノブリス・オブリージュとも言うべきもの。貪欲さと倫理性の葛藤と言えるだろうか。
倫理性の方にも確かに前近代から引き継がれたものがあって、反省は常に要求される、おそらく半世紀も遡れば性差別や家族主義もまた全く近代的なものとして捉えられてはいたのだろう。
しかし、貪欲さの側はそもそもが破滅的なのであり倫理性の方を常に疎んできた。また近年では倫理性の方が随分とその相対化に鍛えられてくるなか、倫理性の中からパージされた家族主義や家父長性、性差別といったものが貪欲側と手を結んで倫理性を攻撃する側に回ってきていると感じる。

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