『虎に翼』まだ追いかける手前だけど、朝鮮半島からの留学生という人物が登場するんだ。たのしみ〜。
第1話の冒頭で日本国憲法が朗読される時、「人種(によって差別されない)」で映されるのが白人だったのが納得行かなかったんだよね。

なんで在日コリアンや華人・華僑の人たちを描かないんだろ?そっちのほうがクリティカルでいいのにと思って。
そのモヤりを払拭してくれるかな?

この「人種」という概念、日本やアジアや白人社会以外における、エスニシティを理由とした差別を説明するのに十分なのだろうか?といつも思っている。
人を「白人」「黒人」「アジア人」「ヒスパニック」などに分ける考え(人種主義)そのものが、白人至上主義的な見方を輸入したものでしかないので。

「アジア人差別はいけない」では、日本の民族的マジョリティによる差別や植民地主義などを説明できないのではないかと。
自己を白人社会におけるマジョリティに同一視した「日本人」の意識については説明できるかもしれないけど

家庭内での女性への抑圧や、親から子への心身への暴力が描かれる時、どうしても母親がその主体になることにいつもモヤモヤする。『虎に翼』見ててもそう。
『野球少女』という、野球界に選手として挑む女性を描いた韓国映画見てもそうだった。
子への無理解は母親の役目で、父は後からやって来て「父さんは分かってるぞ」って調子よく言う人。多少ダメな親でも、父親に関しては点が甘い感じがする。

親から子へのひどい扱いについては容赦なく描いていいと思うし、たとえ母が女性でも子よりは権力的に強者なのだから、当然責任はあると思う。
個々の作品への批判というわけでもないんだけど……なんかね。モヤりもどうしようもなく
twitter.com/omph_fyi/status/13

『虎に翼』で、女性用トイレが少なくて休憩時間に学生が行列したり走ったりしている場面、映画『ドリーム』でNASAの有人宇宙飛行計画に参加した黒人女性が、黒人用トイレがなくて別の棟まで毎日何往復もダッシュしてたのを思い出した。

こうやってトイレに関して不便を強いられる状況は、やはり差別と言っていいと思うんだよな。
黒人であれ、女性であれ、ジェンダーマイノリティであれ、障碍者であれ、わざわざ「分ける」ことには常にいろんな理由がついてきて、使用してる本人たちでさえそれが「自然」で「安全」だと考えがちだけど
youtube.com/watch?si=edtTisj-o

『虎に翼』今週分見てるけど、日中戦争開戦まで数年というこの時期に、司法という公権力を相手取って自白の強要の告発なんてマネが果たしてできたのかどうか気になる

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モチーフになった帝人事件では、ドラマと同じように検察側が自白の主張だけに依った判断をして糾弾されたらしい。
治安維持法はすでにこの頃制定されていたらしいけど。興味深い
twitter.com/seionvo/status/178

『虎に翼』朝鮮の人たちから見た戦時中の日本の自由のなさが作品として新しい。
日本人に対するより更に強烈に、言論が取り締まられていただろうと察せられる。ハングルのネイティブたちが演じてるのもいいね

『虎に翼』よねさんは「帰るなら今」じゃなくて、せめて崔香淑の側に寄り沿って怒ってほしかったんですが……。あの怒りは何のためにあったんだ。日本の民族的マジョリティのため?
崔香淑が謝るくらいなら、夢を追わせてあげられなくて、命の危険にさらしてごめんと日本人が謝るべきだった。

「どんなに権利意識が強くても決して中国や朝鮮の側には立たないし、侵略国としての責任は考えない」という、極めて植民地主義的な信念がなんだかやたら生々しく感じられる(ほめてない)。

日本版ホワイトフェミニズムの現在地を知らせることは、製作側の意図したところではないだろうが、よく分かった

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