歴史家的な見方が何かを自分は知らないが、確かに絶対悪として捉えるのは宗教家•神秘家的かもとは思う。
そしてそういう宗教家•神秘家というものは恐らく良い宗教家•神秘家ではないのではないかとも思う。
"絶対"という言葉は科学者がその言葉を恐らく用いないと思われるのと同様に、宗教家•神秘家も恐らく用いないのではないかと自分は思う。
絶対という言葉に対する敬意というか畏怖の念があるならば、絶対という言葉はまずそういった宗教家•神秘家の口からは出てこないような気はするので。
ただその後の文章、つまりどういった見方によって悪が止まるのか/蔓延するのか/誰の頭の上に落ちていくかは自分にはあまり見当がつかない。
個人の感想ですが、恐らくここでのドゥルーズは喋りすぎていたのではないかという気はします。
ただ自分はドゥルーズについて詳しくないので真意がどの辺りにあるのか首を傾げている次第です。 [参照]
最後の2段落は特に同意。
関係性に人間の本質(?)があるのだとすれば、色々と辻褄は合う気がする。
「社会と個人」や、「(個人における)外面と内面」のバランスが重要なのかもと思った。
QT: https://fedibird.com/@zpitschi/112385160632701655 [参照]
過ちからの脱出
別にブロックまでしなくてもとは思う。
多分染まっている価値観というか世界観みたいなものが結構尖ってしまっているのではと感じた。
twitterでも時々見かけるのだが、ある種の世界観を反映したドクマ的な何かがありそこに背いた発言を見ると怒り出し糾弾し始める人々がいるように思われる。
twitterを始めたころは自分もそういう雰囲気に飲まれて一緒になって怒ったり、扇動的なtweetを拡散したりしていた。
虐げられているという思い、不公平への怒り、弱者への(感情的な)共感。
それらに加えて嘆きや怒りもあるように思われた。
往々にしてそういった要素を備えた人々の私生活らしきものというか垣間見える内面的生活は豊かそうに見えるのが、ギャップという点でも魅力的に思えたりもしたものだった。
自分がそこから離れるに至ったのはたまたま見かけた医師らのtweet(s)と影響されたからで、それは簡単に言うとエビデンスレベルの概念とその強弱の判定を情報一般の信憑性/確からしさの審査に役立てるという発想を自分に与えた。
すると信憑性には濃淡があることに気付き出した。
不確かな情報の海から自分は上がって歩き出した。
確からしいものは少ないように思われたが同じ手法を採用する人々に会えた安心感があった。
以下は個人的な感想。
このようなややアクロバティックな考え方を警察官がその場で思いついて即興的に述べることはあまりなさそうだと思う。
詭弁が少し(?)混ざっているんじゃないかと思いつつも、こういった論理の展開は個人的には割と好きではあるので自分は喜んでしまって職務質問に対して多分色々と洗いざらい話してしまうと思う。
問題は論理の展開が鮮明すぎるというかアクロバティックすぎて、その後のこちらとのやり取りにおいて相手の警察官からそれ以上の鮮やかさ(?)を期待できそうに思われないところだと思う。
アクロバティックなことを言うならそのままその切れ味を保って会話を続けて欲しい……自分は思うのだろう。
そして内心少し落胆しながら質問に回答することになりそうだと思う。 [参照]
amazonの配達はどうにかならないものか。
他人の家の前に配達するのはやめて欲しい。
配達完了の写真には知らない人の家の玄関が写っていて、それを元にどこの家か推理。
身分証とスマートフォンを持ってコソコソしながら、探しに行く。
コソコソしながら荷物をピックアップ。
早めに探しに行かないと他の誰かが持ち去る一応可能性もありそうだし、外に出れるよう多少なりとも身繕いをする必要がある。
そして誰かに見つかって何か言われたり、言われそうになる雰囲気に対する心理的負担が非常に大きい。
泥棒っぽく見えてしまうのではと懸念する。
アマゾン使うのやめようかな。
ヨドバシにしておいて、そこでなければアマゾンにするくらいの運用が良いのかもしれない。
何度も同様の案件があり、配送員への注意喚起もしてあったのだが色々と残念な感じがする。
配送員も色々大変なのだろうが、配送員個人の責任というよりも多分仕組み的にどこかがおかしくなっているのかななどと想像した。
話題からズレたことを言って相手から突っ込みをもらう恐怖について述べると、これは自分がそうしていることの投影(?)というか裏返し的な意味があるのではないか。
相手の話を聴く時に自分はどうしているのだろうか。
【傾向】
頷きもせず、何もリアクションを与えない(?)ように心掛けながら最後まで無言で聞く。
目だけがくるくる回ったり、ごく僅かに首を傾げてどこか空間(?)の一点を凝視したりする。
できるだけ返答を短くしようとする為なのか、問題から抽出された本質と思しき内容に対して同様に凝縮された本質っぽい(?)回答を与えようとする。
【対策】
1)リアクションを取るのを検討してみてはどうか。
2)相手が欲しているのが問題解決なのか検討する必要があるかも。
3)問いと答えに関する、純度を高めようとする(?)かのような思考過程はその会話において誰かの得になっているのかどうか検討してみても良いのでは。
【感想】
問題の生じやすそうなコミュケーションスタイルかもと思う。自分がどのように振る舞っているかもう少し観察してみても良いかもと思う。
例えば他者のミスが原因であるのに、自分が上手くやったから結果が良かったのだなどと思う人をたまに見かける。
一体、結果が良かったのは何故なのか?
フーガ(音楽)を好む。
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