おー、これは良さそう。とりま自分の管理するリポジトリに設定してみた。
Make your GitHub projects more accessible with accessibility-alt-text-bot - The GitHub Blog https://github.blog/2023-06-12-make-your-github-projects-more-accessible-with-accessibility-alt-text-bot/
書くだけ書いてみる。アクセシビリティやれるところで、カジュアル面談できるところ探してます。M社、S社、F社とは既に面談させてもらいました(こういうのって書いて大丈夫だよね?)
書いたブログ、こっちでも放流してみる
https://chuff-chuff.hatenablog.com/entry/2023/07/01/225701
まえからおもってたけど、この人の記事はほんとに有害なんだよな。
ビジネスやマーケティング(つまり商売)には付き物の、一部のユーザーをバッサリ切り捨てる最大公約数思考、商売として不可避な清濁併せ飲む現実に対して、ユーザーファーストやインクルーシブデザインなどの「美しい概念」を錦の御旗とし、経営者やマーケターに対して批判的・攻撃的なポジションを取りたがる人もいる。 https://baigie.me/nippo/2023/05/23/non-business-designer/
仕事してれば売れる必要があることなんて当然わかってるわけで、そんなの知らんでデザインがどうこうとか言ってるやつがおるんなら経営状況知らせればいいだけのことでしょ。「インクルーシブでないデザインはビジネス上の都合でそうなっています」っていう言説がまかりとおるならデザインなんていらんよ。
僕が「アクセシビリティー」という言葉を明確に意識したのは1996年頃のことで、1997年に成り行きでW3C/WAIの発足から関わり始めて、以来この分野のことをやってきてるわけだけど、これだけ時間が経ってもあまり大きな変化がないように思われるのはなぜなんだろうと最近よく考える。
1つの考えとしては、実際にはそれなりに良い方向に変化しているのだけど、連続する小さな変化を意識しないまま僕がぼんやり暮らしてるだけだということ。おそらく少しはこの側面はあると思う。実際四半世紀前より便利になってることとかあるし。
ただ、本質的には、結局アクセシビリティーというものの重要性とか意義とかを理解してる人がそれほど増えていない、ということなのではないかという気がしてる。
で、なぜ理解が広がらないかといえば、それは人権とかそういうことについての前提が大きく変わっていないからということなのだろうと思う。
アクセシビリティーの向上で社会参加できる人が増えれば社会が変わると思ってきたけど、まず社会を変えないとアクセシビリティー向上に必要な意識が育たないのかもしれない。
僕が取り組むべきことはそっちの方向なのかもしれないと漠然と思ってる。
受託でウェブアクセシビリティ向上に取り組んでます。ボドゲ/卓球/杉並江戸落語研究会/横浜DeNAベイスターズ/ウェブアクセシビリティ推進協会会員/認定NPO法人タートル正会員