℃-uteの「人生はSTEP!」は私にとって人生のテーマソングとして掲げてるので……(自分を律する気持ちを込めて)
https://www.youtube.com/
ハロプロ過去曲一部サブスク解禁!!!???うれしーーー!!!!!
https://twitter.com/upfrontworks/status/1874768961872765307?s=46&t=9UkHZMJJ0nCmYRk9UsfnhQ
最強の軍師原作小説読んだ!(ネタバレ/ちょっと利土井好きの自我ある)
「利吉は天鬼の正体を知ってそんなに冷静でいられるはずがない」は原作からなんだ…!!!って思ったけど(映画ではモノローグではなく台詞になってたという変更はあるけど)、雑渡さんとの戦い→ボロボロになっても追ってきて雑渡さんを止めようとする、の流れも映画オリジナルなんだ………
「お兄ちゃん」は映画オリジナルって知ってたけど、原作では山田先生との会話のシーンまでだったんだ登場シーン…………
原作の利吉くんはプロ忍として、自分の仕事の都合とかもあるだろうし、ギリギリ今できるラインで立ち回った(それでもプロである利吉くんが虚偽報告という相当危ない橋を渡る時点でかなりのことだが)って感じだけど、映画だと利吉くんの個人的な感情がより強く出てる印象わ受けるな いてもたってもいられなかった、って感じ…
いてもたってもいられなかったから、最後に安堵して自分の立場とか外面とか全部すっとばして個人の山田利吉としての気持ちが溢れて「お兄ちゃん」呼びが出たんだな……という気持ちになった
最強の軍師原作小説読んだ!(ネタバレ/ちょっと利土井好きの自我ある)
小説の方読んで、パンフで書かれてた改変の意図に改めてなるほどと思ったり、感想ですごくお見かけした「忍たまのアニメ映画としての改変の上手さ」を理解した……感嘆……
1年は組のみんなが活躍する+それによって増えたギャグパートで「いつもの忍たま」らしさを出したり、利吉くんと雑渡さんの戦いのシーンはじめ映像映えする緊張感あるシーンが増えたり、そしてらんきりしんが土井先生にキーワード攻撃する流れからの「一緒に帰ろう」の1本の映画としての盛り上がりづくりの上手さ…!(序盤での布石の置き方やちょいちょい挟まれるきり丸の回想、きり丸視点の描写の入れ方や塩梅も素晴らしい…)(忍たま初心者でも序盤で必要な説明がさりげなく入ってるのでスムーズに理解できる構成も助かる)
映像作品としての&忍たまとしての再構成の上手さもあるし、キャラクター描写の再解釈による改変もすごく良い形だったな… 土井先生の落下→頭を打つ流れの理由(土井先生の強者ぶりの描写と優しさの両立!!)、天鬼としての性格、利吉くんの行動…
原作では「虚偽報告で土井先生を守る」という裏でのサポートに留まったけど、利吉くんの幼少期と土井先生との関係性を考えればより積極的に関わる形の改変もわかる…
すげ〜〜誘導的な設問の作り方だし、見出しにピックアップする内容も恣意的では… これが産経新聞という老舗のマスメディアがやった調査&記事ということにびっくりする
選択的夫婦別姓、「賛成」16%「反対」49% 小中生2000人調査・質問と回答 https://www.sankei.com/article/20250101-L3VK2UL4H5EMJPW6X5DVUGNXJQ/
軍師映画後の利吉くん(利土井)
利吉くんやっぱり根は優しくていい子だよなあ…とTVシリーズちょっとずつ見てて改めて思って、だからこそ、もう二万回言われてると思うけど、軍師映画の後利吉くんはあの時の自分の決断について引きずりそうだよなあ…という思いが強くなる
あの時の利吉くんの選択は、土井先生の命は救えても、土井先生の心までを救うことはできないものだった 例えばらんきりしんを殺めていたら?もそうだし、あの手出しで利吉が殺されていたら?もそうで、そのどちらのifだってもし土井先生が記憶を取り戻した時苦しむに違いないというのは利吉くんは理解している
紙一重で(あのとき利吉くんが認識していたとしても、していなかったとしても)個人的にも仲良くしていたらんきりしんの命を自分の判断で失いそうになったことについて利吉くんは彼らに合わせる顔がないって苦しみ方もしそうだし、彼らを大切にしていた土井先生に対してもそうだし
じゃあ利吉くんが命を落とす代わりに土井先生の命が助かったとしても、土井先生本人は絶対にそれは望まない
でも利吉くんにとって何よりどうしようもないのは、もし今同じ決断を迫られたら、どうしてもひとつしか取れないなら、自分は同じ決断をするだろうって自分自身が自覚しちゃったこと、だと思うんですよね… っていう妄想…
からの利土井
今の土井半助を形成してるのは山田家との出会いとそこで過ごした時間、忍術学園の先生になってからのたくさんの経験と思い出、それらで得た絆、たくさんあると思うけど、その起点に利吉くんがいたっていうのを改めて噛み締めてしまう
忍術学園に通うとかもなく、当時両親の他にきょうだいとか歳の近い友達とかもいなかったっぽい?(認識違ったらごめん)利吉くんにとって突然できたお兄ちゃんはものすごく大きな存在だったと思うし、そりゃ慕うよな…って思う
でも土井先生も利吉くんが慕ってくれること、目をキラキラさせて教えたことを喜んでくれるのが、あの時期の土井先生にとって確かに、少なからず救いでもあったんじゃないかなーって思う
軍師 映画とパンフバレ
天鬼は土井先生が山田家や忍術学園で過ごした記憶をなくした姿(幼少期の辛い経験だけを持っている)みたいなことをパンフで書かれてて、あのとき山田家に拾われなかったifの土井半助…って思うとウッ…てなる
天鬼は「土井先生がまったく変わってしまった姿」じゃなくて、「もしあのとき出会ったのが山田家でなかったらこうなっていた可能性がある」って考えられるので、逆にこっちのほうがゾクッとするところがある 「もし」を考えてしまって…
私、怪物事変で夏羽くんが「自分はあの時隠神さんに出会ったけど、もし隠神さんが悪い人だったら?悪いや悲しいやかわいそうが分からなかったら自分も(悪いことを)やっているかもしれない」って考えるシーンが大好きなんですけど、天鬼のifもそれと似たものを感じていて
それぞれ元来持ってる性格や気質はあれど、「もしあのとき出会うものが、与えられたものが違ったら、こっちに染まっていたかもしれない」っていう
だからこそ「あのとき出会えたもの」の尊さを改めて思ってしまうんですが…
何が言いたいかというと、あの時点から山田家に出会って今の土井半助になるまで、それは山田先生や奥さんもそうだし、自分を慕ってくれた利吉くんの存在も含めて、今の土井半助を形成した大きな時間だっただろうと思うんですよね
映画の利吉さんのあのシーン(利土井)
さっきつぶやいた考察ブログを読んでいて、なるほどなーと思うところとなるほどそういう解釈もあるかーってところとあったけど、
「利吉が雇い主に嘘の報告をする=自分がこれまでプロの忍者として築いてきた信頼をすべて壊す恐れがある判断をしている」というのそうだよなーーあーーってなってる
利吉さんが「フリーのプロの忍者」であるということは、実力とひとつひとつの仕事の積み重ねによる信頼関係で依頼を貰ってるわけで、家族とか個人的に守ろうとしてくれる存在は勿論あれど、仕事に関して後ろ盾はない、組織のように守ってくれる存在はないんだよな…とか考えちゃった(勿論、組織に属していても裏切ったら恐ろしいことになるだろうが)
利吉さん、1年たちのように状況を理解しきれてないわけでもなく、天鬼や八方斎のように頭打って物理的に常と違う状態だったわけでもなく、勿論動揺や焦りや恐怖や色んな感情で冷静ではなかっただろうけど、それでも間違いなく山田利吉の判断として、他の何よりも土井先生の命を優先しようとしたのは事実として存在してるんだよなっていうのホント重くて 動揺する
あれがバッドエンドになったとしても、それで仮に土井先生が後に苦しんだとしても、たぶんそれでもあの瞬間、生きていてほしいが勝ったのかなって
読み応えのあるレビュー&考察だった
『劇場版忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』 - 翔龍shoryuの忍たま日記 https://www.shoryu20.jp/entry/2024/12/24/222351
20↑二次創作同人/ワールドトリガー他とても雑多/生活とか同人とかいろいろしゃべる/鍵は念の為なのでもろもろお気軽に〜