うわー。こういうところ、まだ残っているのかな。行きたい #韓国
『ソウル ジャンキースポット 巡り③ 世運商街とその周辺 (電気街含む)』ソウル(韓国)の旅行記・ブログ by じょん・とらべる太さん【フォートラベル】: https://4travel.jp/travelogue/11257716
例えば1980〜90年代ぐらいまでは、漫画本やロックのレコードを自主制作&自主流通するようなことも、大資本に占有されたインフラ状況へのカウンターパンチになり得た。しかしプラットフォーム資本主義以降は、インディレベルで既存インフラに対するカウンターを仕掛けることが、とても難しい。
どんなアクションも、大資本が用意するプラットフォーム上のいち商品としてしか成立し得ない。インフラレベルでカウンターを仕掛けること・既存状況を否定することの難易度が、果てしなく上がっていく。表現のレベルでカウンターであっても、インフラのレベルでは大資本の論理を飲むしかなくなっている。
スケールすることこそが正義という感覚は、ビジネスのレベルだけでなく文化表現のレベルにおいても、この10年ほどで深く再強化されたと思う。自立性や個人主義的思考は、どんどん蔑ろにされていっている。
Went and had another go at photographing red-capped plover babies. So teeny, so fast and generally so well camouflaged against the sand and beach detritus. Every now and then it would stand up against the blue blue sea though and I got some magical shots. If the image looks a little pixelated it is because it is cropped a LOT and also needed quite a lot of post processing to deal with the heat haze. #birds #birdphotography
ガザ、国連職員243人死亡 組織存続へ協力訴え
https://nordot.app/1229563039369478635
こんなの見たくない人もいるだろうと内心思いながら、あまりにも残酷なパレスチナ/ガザの大虐殺とどう向き合えばいいのかまったく分からず、ただ見るためだけにニュースを追い、見ていることを自分で認めるためだけに、地獄と化した当地の人々の絵を毎日15分ほどと決めて描きはじめた。これがニンゲンの所業なのか(!)と絶句しながら。そうこうしているうちにレバノンとかも…
当初はある程度の枚数になったら薄いZineにでもして、友人の書店やバーにでも置いてもらって、多少でも売り上げがあるようならそれを #国境なき医師団 とかに寄付しようとか考えていた。でも毎日が忙しすぎてZineの編集とかとてもじゃないけど手が回らず、結局ただただアホのように毎日描くだけ描いているという状況。際限なく、ひと月を超えたあたりからいつまで続ければ良いのかさっぱり分からなくなってしまった。止めどきなんて自分で勝手に決めればいいのだが、虐殺は一向に止まず、日々日々新たな惨状が出現し続け、ぶっちゃけもうどうすりゃいいのか分かっていない。
友人のZine職人にも頼みづらいし、どうしたものか。はやく虐殺をやめてくれ。#CeaseFireNow アンド #StopGenoside
ニンゲンってなんなのか?
https://fedibird.com/web/statuses/113270702973661584
近所のレイシストがトランプ当選で開き直った。
この人、前はthin blue lineの旗だけ飾ってた。Thin blue line は以前ケーサツ支持(特にBIPOCを射殺した警察)のシンボルだったけれど、第一次トランプ政権あたりからハーケンクロイツやアメリカ連合国の旗みたいな誰でも知ってるレイシストシンボルの代用として使われ始めた。
私の自治体にはhuman rights commissionなるものがあるので、Thin blue lineを初めて見た時に「市は表現の自由を尊重しないといけないので何もできないとわかっているけど、近所にレイシストなシンボルを表示する人がいると知ってから安心して生活できません」って連絡した。生ぬるい当たり障りのない返事がくるかと思ったら「私もブラックの男性としてあのシンボルが近所で掲げられるのは嫌ですよ」という返信が来た。
この世は勝ち負けでできている。
勝つために一番使えるツールは金と暴力だってことは、普通に事実だ。
そして、勝つとその時は楽になる。抑圧を跳ね返す。
露悪的であることがリアリストであるという錯覚についてさっき書いた。
そこには、論理的な繋がりはない。
繋がって感じるのは、「悪」が「善」を凌駕することを証明したのだと感じているということ、つまり、露悪することで「悪」陣営に立ち、そこに「善」という対立軸を想定しているから。
理想主義者が「善」でぶん殴ってくる、と善悪の戦いのテーブルに乗ったということ。
こういう戦いのテーブル、ぜんぜん悪いこととかではないと思っている。ほとんどの現代人に刷り込まれた性質のようなもので、そこで本気で戦う人もいるし、冗談でちょっと滲ませる程度の人もいる、だいたいみんな乗せられてるやつだから。
夫婦で話してても、女性に対する慢性的な抑圧状況について話しているのに、「弱者男性」の苦しみと、何故か対立軸になったりする。
どちらも抑圧されているのだから、何故抑圧状況になるのか、ならないためにはどうするか?を考えるのがシンプルなスジなはずなんだけど、「大変なのはお前だけじゃない」になってしまう。
なぜだ…?
どっちも被害者じゃん。
どちらにも辛さの吐露が、まず必要。
どちらにも辛さのケアを、次にする。
そうして初めて、問題の解決のためにはどうするか?の話ができるのかもしれない。
議題をテーブルに挙げたつもりなのにテーブルの上がごちゃごちゃになるのを防ぐためには、ステップが必要なんだと思う。
けどさ、誰がそれするのかな。どちらも被害者なのにね。
暮らしかた研究所 烏頭のおやま の所長です。
山に住んでいます。
https://linktr.ee/utounooyama
苦労するミュージシャン、スギムラリョウイチの姉。好きな毛虫はクマケムシ。
ここでは好きなことを言わせてくださいごめんなさい。