夫婦で話してても、女性に対する慢性的な抑圧状況について話しているのに、「弱者男性」の苦しみと、何故か対立軸になったりする。
どちらも抑圧されているのだから、何故抑圧状況になるのか、ならないためにはどうするか?を考えるのがシンプルなスジなはずなんだけど、「大変なのはお前だけじゃない」になってしまう。
なぜだ…?
どっちも被害者じゃん。
どちらにも辛さの吐露が、まず必要。
どちらにも辛さのケアを、次にする。
そうして初めて、問題の解決のためにはどうするか?の話ができるのかもしれない。
議題をテーブルに挙げたつもりなのにテーブルの上がごちゃごちゃになるのを防ぐためには、ステップが必要なんだと思う。
けどさ、誰がそれするのかな。どちらも被害者なのにね。
でもこの戦いのテーブルでいくらがんばっても、抑圧を生み出す構造はずっと残るんだよね。トランプだって、何かの拍子に「弱者男性」へ「転落」するかもしれない。
金と暴力に良い悪いのラベルを貼り付けても、問題の解決ができないのは、これがあくまで「道具」だからだと考えています。
お金も、力も、とても便利な道具だよね。と突き放して、自分たちを苦しめている構造の正体のほうに目を向けたいし、でかすぎてどうにもならないとしてと、それとそれは違う、と常に確認していきたいと思ってます。
無駄なケンカしないようにさー