詩をめぐるもう一つの。(だからさっきのが流れてきたのかな?)
尹東柱の「序詞」の
모든 죽어가는 것을 사랑해야지
という一行について、翻訳に潜む権力性について。徐京植さんの文章。
「尹東柱が禁じられた朝鮮語で詩を書いていた当時の状況をリアルに想像する感性が伊吹にあれば、いや、自分の想像がとうてい現実に及ばないのではないかという謙虚さがありさえすれば、その詩が「実存凝視の愛の表白」であり、「軍国主義の日本人に対する憎しみなどかかわりがない」などと自信満々に主張することはできなかったであろう。」
「日本の多くの読者は…日本が植民地支配を通じて朝鮮民族に加えた害について詳しく知ることを望んでいない。だから、尹東柱の詩に出会う際も、…告発としてではなく、一般的な「実存的愛の表白」として読むことを好むのではないか。そうだとすれば、それこそが植民地的権力の行使なのである。」
徐京植「母語という暴力―尹東柱を手がかりに考える」
自分が読んだ金時鐘訳の岩波文庫版では「すべての絶え入るものをいとおしまねば」となっていた。ハングルの原文も載っている本なので、そちらも参照して理解した。
徐京植「母語という暴力―尹東柱を手がかりに考える」|manabe kaoru https://note.com/k2y2manabe/n/nf03caaf03269?sub_rt=share_h
数年前のラジオ講座のテキストで、尹東柱「序詩」を読みました。
모돈 죽어가는 것을の箇所、
テキストでチャン・ウニョン先生は「すべての死にゆくものを」と訳しています。
죽어가は죽다(死ぬ)+가다(行く)なので、ふつうに読んだら「死にゆく」だし、「すべての死に行くものを愛さねば」が一番オーソドックスな訳になるはず、と学習者として思います。
この詩のあと、詩人は治安維持法で捕まって「死にゆく」、事実上、特高に殺されゆく人生を歩むことを現在の私たちは知っています。私たちがこの詩を読むとき、すでに詩人自身が「すべての死にゆくもの」のなかにいるんです。
ここを「生きとし生けるものを」と訳すことはまさに欺瞞であり、詩人尹東柱を消す行為だと思います。
加害したことを思い出したくない、自分たちを告発しない「清冽な」ものだけを愛でたい。
こうした欺瞞的欲求は、面倒な「政治」を抜きにK-POPやKドラマを消費して、「推し」を愛でていればお互い仲良く出来るのでは?という現在の私たちの甘えた姿勢と通底していると思います。
そして、その甘えの果てに先日の追悼碑撤去が起きてしまったのではないかとも。
ほんとですね。
自分たちを告発しないようにいろんな手段で押さえつけてから、きれいなところだけ利用・消費して、それで「対等に扱ってあげている」つもりになって自己満足してるんですよね、ずっと。
@chaton14
美しい日本はとっても薄汚い
選挙で掃除したいけど
どうやったら市民を掃除好きにできるのか
みんな汚いのが嫌いじゃないんですよね
ほんと難問
@chaton14
ジャニーズの子どもたちを消費する姿勢もゴールデンカムイの文化の盗用も基地でふみつける沖縄への暴力も
みんなつながってますよね
日本市民の人権に対する無知と性格の悪さが起こす悪事