自分が読んだ金時鐘訳の岩波文庫版では「すべての絶え入るものをいとおしまねば」となっていた。ハングルの原文も載っている本なので、そちらも参照して理解した。
徐京植「母語という暴力―尹東柱を手がかりに考える」|manabe kaoru https://note.com/k2y2manabe/n/nf03caaf03269?sub_rt=share_h
詩をめぐるもう一つの。(だからさっきのが流れてきたのかな?)
尹東柱の「序詞」の
모든 죽어가는 것을 사랑해야지
という一行について、翻訳に潜む権力性について。徐京植さんの文章。
「尹東柱が禁じられた朝鮮語で詩を書いていた当時の状況をリアルに想像する感性が伊吹にあれば、いや、自分の想像がとうてい現実に及ばないのではないかという謙虚さがありさえすれば、その詩が「実存凝視の愛の表白」であり、「軍国主義の日本人に対する憎しみなどかかわりがない」などと自信満々に主張することはできなかったであろう。」
「日本の多くの読者は…日本が植民地支配を通じて朝鮮民族に加えた害について詳しく知ることを望んでいない。だから、尹東柱の詩に出会う際も、…告発としてではなく、一般的な「実存的愛の表白」として読むことを好むのではないか。そうだとすれば、それこそが植民地的権力の行使なのである。」
徐京植「母語という暴力―尹東柱を手がかりに考える」