パトリシオ・グスマン監督。

「チリの闘い」、見たいなあ。

もうすぐ、9/1から、
グスマン監督の「夢のアンデス」
amazon.co.jp/dp/B09Y2PSPN4

がアマゾンプライム見放題に入る予定らしいです。
1973年9月11日のピノチェトの軍事クーデターとその後のシカゴ学派による新自由主義の実験場になったチリを描いたドキュメンタリ作品なので、楽しみにしています。

(現在、グスマン作品は「真珠のボタン」がアマゾンプライム見放題で見られます。おすすめです。このあいだの投稿でも触れた「死の飛行」の話もでてきたと思います)。

1973年9月11日・・・。
チリのクーデターからもう50年なんですね。 [参照]

(承前)
このインドネシアの1965年の虐殺の「マニュアル」は60年代半ばから70年代にかけてのラテンアメリカの軍事クーデターに転用されていきます。

典型的な例が、73年のチリのアジェンデ政権をCIAとピノチェト、そして民間右翼が連携して打倒したクーデターです(当時民社党幹部は「天の声」と讃えた)。クーデター直前にはサンチャゴ(首都)の至る所に「ジャカルタが来る」というグラフィティが突如現れ、住民たちをパニックに陥れました。

このクーデターの指揮棒を振ったニクソン=キッシンジャーはベトナムに見切りをつけて、すでに大きな亀裂の入っていた中ソの間に楔を打ち込む、という戦略を採用していく。

ちなみに「全体主義」と「権威主義的独裁」という対比は、米国にとってアジェンデ(全体主義)とピノチェト(権威主義的独裁)を比較して、後者が「まし」という(屁)理屈として多用されます。

選挙で選出されたアジェンデをどう定義すれば「全体主義」になるのか不明ながらも、この語用は東アジア・東南アジアにも適用されます。

つまり韓国の軍事政権や日本の自民党は「権威主義的独裁」ではあるが、「左派」=「全体主義」に政権を奪われるよりはまし、という発想。

インドネシアをはじめ、タイやシンガポールなども同様の位置付けで米国は支援。

「ジャカルタ・メソッド」

最近、「グローバル冷戦史 global cold war」に関する紹介で、「ジャカルタ・メソッド」を紹介しました。

今月の「世界」3月号で長文書評として紹介されています。

ご関心のある方は、「立ち読み」でもいいので、ご笑覧下さい。

ブラジル、インドネシア、チリなどの軍事クーデターの連鎖の構造にも触れられています。

日本でも比較的知られている、1973年チリ、軍事クーデターの際、ピノチェトは作戦コードネームを「ジャカルタ」とします。

作戦開始前首都サンチャゴの通りには虐殺を予告する「ジャカルタが来る」という落書きが突如として現れ、また「ジャカルタ」と書かれた脅迫状が左翼活動家の家に届けられました。

またブラジルでは「ジャカルタ」とは「虐殺」を意味します。

こうした「グローバル冷戦」の文脈の研究、世界的には「常識」になりつつありますが、日本への導入はほぼゼロ。

逆に三浦瑠麗が「国際政治学者」を名乗る有様です。

これには「政治学者」たちも責任なし、とはならないのでは?

「1965年、インドネシア大虐殺について」

TLでインドネシア大虐殺について、流れてきていますが、この事件単体では、昨年出た

「ジャカルタ・メソッド」(河出書房新社)

 が、各階層のサバイバーへのインタビューと文書史料の双方を駆使、しかも読みやすいのでお勧めです。

 「グローバル冷戦  global cold war」の文脈ではウェスタッドの「グローバル冷戦史」、第三世界主義抹殺のプログラムにもアクセントを置いたものとしては、プラシャッド「褐色の世界史」があります。

勿論、「ジャカルタ・メソッド」もグローバルな視座、当然あります。

この虐殺のメソッド、実は1964年ブラジルでまず考案された。

先日、選挙に負けて暴動を扇動したボルソナロは、この治安・拷問関係部門の直系です。

インドネシアやチリでは米政府とCIAが、軍部と結託して成功させた。

冷戦以降は、米国が介入するとは限らず、その場合たいてい失敗します。

日本の政治学・国際関係論では、この「グローバル冷戦史」の文脈の研究はほとんどなし。

逆に、米国中心の国際秩序を前提とした政治史、経済開発、あとゲーム理論です。

このゲーム理論を現代史に持ち込むところからラムズイヤーのような輩が出てくるのです。

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