万葉集に、いわゆる〈題詞〉や〈左注〉以外の、「多少とも独立した作品としての性格をもつ漢文や漢詩」がどれくらい・どんなものがあるのか知りたくて調べていた。角川ソフィア文庫の解説に「収める作は、漢文1、漢詩4、重出歌3を加えて4541」とあり、まずはこれが手掛かり。 fedibird.com/web/statuses/1126

まずは「漢詩4」。4首がどれなのか、探し方が悪いのか情報が見つからず、やむなく文庫の頁を繰って自力サーチ。結果、わりと簡単に見つかった。角川ソフィア文庫版には歌に旧国家大観の旧番号と新編国家大観の新番号が併記されており、漢詩には後者だけがついているので比較的探しやすかった。

漢詩①:愛河波浪已先滅 苦海煩悩亦無結 従来厭離此穢土 本願託生彼浄刹
(愛河に波浪は已に先に滅び 苦海に煩悩はまた結ぶことなし 従来、この穢土を厭離す 本願、生を彼の浄刹に託けむ)(巻五・794「日本挽歌」の前(新番号797))※読み下し文は岩波文庫から

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漢詩②:俗道変化猶撃目 人事経紀如申臂 空与浮雲行大虚 心力共尽無所寄
(俗道の変化は撃目のごとく 人事の経紀は申臂のごとし 空しく浮雲とともに大虚を行く 心力共に尽きて寄る所なし)(巻五・897の前(新番号901))

漢詩③:余春媚日宜怜賞 上巳風光足覧遊 柳陌臨江縟袨服 桃源通海泛仙舟 雲罍酌桂三清湛 羽爵催人九曲流 縦酔陶心忘彼我 酩酊無処不淹留
(余春の媚日は怜賞するに宜しく、上巳の風光は覧遊するに足る。柳陌江に臨みて袨服を縟らかにし、桃源海に通ひて仙舟を泛ぶ。雲罍に桂を酌みて三清湛へ、羽爵人を催して九曲流る。縦酔陶心彼我を忘れ、酩酊して処として淹留せずといふことなし)
(巻十七・3973の前(新番号3995))

漢詩④:杪春余日媚景麗 初巳和風払自軽 来燕銜泥賀宇入 帰鴻引蘆迥赴瀛 聞君嘯侶新流曲 禊飲催爵泛河清 雖欲追尋良此宴 還知染懊脚令*丁*
(杪春の余日媚景麗しく、初巳の和風払いて自ら軽し。来燕は泥を銜み宇を賀して入り、帰鴻は蘆を引きて迥かに瀛に赴く。聞くならく君が侶に嘯き流曲を新にし、禊飲爵を催して河清に泛べしことを。良きこの宴を追尋せまく欲ふと雖も、また知る懊みに染して脚令*丁*なることを。)
(巻十七・3976の前(新番号3999)) *の字は足偏がつく

では漢文(散文)はどうか。ざっと通覧すると、通常の〈題詞〉とは異なる、多少なりとも作品としての性格をもつ漢文は少なからずあり、主に巻五と巻十七に集中する。試みに分類すると、①「令和」の出典である巻五の「梅花の歌三十二首の序」など、「序」と明記のあるもの(計10)、②「序」の記載はないが歌の序文的性格を持ったもの(漏れがある可能性大だが計8)、③題詞に分類されうるがそれ自体物語の性格をもつもの(巻十六の物語歌群の題詞)、となりそう。

さて、角川ソフィア文庫の解説が「収める作4541」の1つに数えている「漢文1」はどれかというと、上の①〜③のどれにも分類されない特異な散文である「沈痾自哀文」(巻五)だと思われる。和歌や漢詩の序文になっているわけでもない(ように見える)この散文が、なぜ万葉集に収められたのか不思議。

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