漂白剤は無色透明だから、誤飲を防ぐための安全措置が必要。一般的には漂白作業は閉店後(お客様がいない、こない時間)にやる。
誤飲事故は家庭でも飲食店でもあるので「過失」の可能性は0ではないけど、そんなオペレーションでやってる店は誰であっても「間違って、うっかり」漂白剤を飲まされる危険があるので行かない方がいいし、私も身の回りの人にはこの件を話して注意喚起したい。
銀座天一って百貨店とかホテルにテナントとして入ってるから、万が一にでも友人知人が被害に遭ったら困るもんね。
開店中に漂白剤の入ったピッチャーが存在しているだけでも、普通の飲食店のオペレーションとしてダメ(悪意がなくても事故を誘発する)なので、この機会につぶれた方がいい店だな。
推し活は自分の財布と相談して無理しないで、という話がたまたま今さっきツイッターの趣味アカで流れてきたけど、「記事や情報をリポストしたりというSNSマーケティングの手伝いをするのも立派な推し活」とも書いてあって、やっぱり「推す」はただ好きであるというより「他人に勧めて応援する」意味合いがあるんだなと。
当たり前?笑
最愛(←早速使う)ができるまでは「推し」とか「推す」とかは他人事であまり考えたことなかったからさ〜
BT 日本での「推し」に当たる言葉として、韓国では「最愛」という言葉を使ってるよ。私の最愛は誰々ですとか、最愛がもうすぐ新曲リリースするとか、そんな風に使う。
公式や「推し」を決して批判せず受け入れるのがファン、みたいな風潮について考えてたんだけど、この「推し」概念?みたいなものがもしかしてこの風潮に追い風なのかなと思ったり。
なんというか「推す」ことがファンのありかたみたいな感じって、ただ好きでいるとか、自分の満足を追求するとかより、その人・作品の活躍を応援する感じというか、ますます人気が出て活躍して儲けてくれるようにファンとしても頑張る、みたいなことなのかなと思うんだよね。
だからSNSなどでの「推し」に関する発言はある種宣伝行為みたいな意識があって、逆にファンではない他の人に「推し」がネガティブに見られるような批判的なことを言うのは、「推す」という行為から外れてしまうのかなとか。
ツイッターで農林水産業アカウントの「日本産水産物の消費拡大に資する取組」で写真に「食べるぜニッポン」のタグを付けて投稿しろっていうツイートが流れてきた………………
「魚を食べて中国に勝とう」にびっくりした。どういうこと?? 「お前らがいなくてもやっていけるんだからね」を実行してみせることで「勝ち」を “証明” してみせるぞってことなんだとは思うけど、それはまったくもって「勝ち」ではないっていうか目的が国際社会での日本の立場でもなく「対中国(メラメラ)(ギリギリ)」になってしまっているのやばいしこのすんごい雑な敵対心って戦争に向けてまっしぐらでは。なんで勝ち負け持ってきた? っていったら、勝ち負けのニュアンスにしたいんですよね。中国がいかに理不尽なことをしているか、それに屈してはならない、という物語を事実にしたいのだとしか思えない。後ろめたいことがあるときに全力でよそに責任をおっかぶせて、後ろめたさすらなかったことにしていくの何度繰り返すの。反省がないから何度でも繰り返せてしまう。プライドばかりアホみたいに高い。
出生時に割り当てられた性別とは異なるバイナリーなジェンダーアイデンティティを持っているキリスト者。