Mastodonで何か投稿しようとする時って、Twitterより慎重になるな(私だけ?)
札幌の猟奇事件の容疑者が共産党に献金してたからと共産党さんに責任性が押し付けられたり、映画「バービー」が原爆を茶化したパロディに使われたからとアメリカのポリコレにその責任性が押し付けられたり…そんな屁理屈が通るなら、公共に持ち出された萌えエロ表現に性犯罪の責任性が押し付けられても全然問題なさそうな気がしないでもない。
私は24時間テレビが大嫌いだ。
私的には『24時間テレビが好きな層=誰かが苦しんでるのを見たい層』だと思っているし、『364日障害者に興味も無く寄り添いもしないような人達が年に一度だけ偽善に酔いしれる日』だとも思っている。
普段は身体及び精神障がい者は邪魔者・お荷物、弱者は自己責任というどぎつい社会のくせに、「この日だけは彼ら(弱者)に主役をやらせてやろう」という意識が透けて見える気がする。
実際あちこちに優生思想が蔓延り、障がい者や弱者を排除することが「生産的」であるというような社会になりつつある中で何が「愛は地球を救う」だ。
にも関わらずあんなグロテスクな番組が何年も続くのは、日本ではそういった層(上記『』内)が大半を占めているからなんだろうな…と、この時期(8月)になる度に絶望している。
(というのが私個人の見解です)
https://fedibird.com/@c_ssk/110807763970485092
私がこの認識を強くしたのは、サーロー節子のドキュメンタリーで見たある場面がきっかけだった。
アメリカで核兵器廃絶の講演をして回る彼女に、中国系アメリカ人の学生が「日本は他国に散々酷いことをしたのに、なぜあなたは核兵器の被害ばかりを言うのか。私にとっては戦争を終わらせてくれた必要悪だ。」という主旨の意見を述べる。
学生とサーロー節子は公演後に話す機会を設け、学生も最終的には納得というか和解するのだけど、この時サーロー節子は核兵器を無くすためには核の話だけしていてはダメだ、と強く感じるんだよね。
もちろん論理的に言えば植民地支配と核兵器はまったく別の問題であり、それぞれに悪いし、それぞれに批判すべき。でも日本に対して「どの口でそれを言うんだ」と思う人々がいるのは当然で、それがまた核兵器を正当化したいだけの人に利用されたりもする。
日本政府はそのようなしこりを取り除く努力をしてこなかったし、一方で反核もろくに言ってこなかった。そこには日本政府側の責任がある。 [参照]
バーベンハイマーはアジア人軽視でもあるから当然ダメなのだが、一方で「日本の植民地は核兵器のお陰で解放された」という認識が支持され続けているのは日本政府の責任も大きい。
「確かに植民地は悪かった、しかしそれは核兵器を正当化しない」と言おうにも、まず前段の「植民地は悪かった」を断固として言わないんだもん。そりゃ次の話に進めないよ。
ってことで、こっちに来ましたー!インプレッションを下げるために閲覧もしないぞ、の気持ち。私は割とガチめにボイコットに取り組みます…Twitterの収益の一部が極右インフルエンサーに配当される件にガチ切れしてるので。
#August1stTweetOutDay
#TweetlessTuesday
一掃できない要因の大きな部分に「日本人が怒れない」問題がある。特に強い者には怒れない。
そのことと、バーベンハイマー問題が私の中でリンクしました。
怒れず、孤立して自己愛的な世界で気持ちの悪い自己憐憫の涙を流し、自分の最低限の権利さえ主張できない日本人が、あの政府を支えている。
この出口のない負のスパイラルを抜け出すヒントを私は今回のバーベンハイマーの件で感じた。
もちろん「それさえできればあとは魔法のように」みたいな話は一言もしていませんが(そのように受け取って反論してくる人がいるので予防線を張っときますが)、多分、この戦後ずっと続いている閉塞状態を打開する出口はそっちの方角にある。
自分が自己主張もできない人間が他者の自己主張を理解できるはずもない。
From: @pica_pica
https://fedibird.com/@pica_pica/110811502447829355 [参照]
ど田舎でチワワと天使のような子供達とノラリクラリ生活しながら絵を描いたり政治に毒吐いたり韓国ドラマ見たりしてます。ネトウヨやレイシストが大嫌い。