BT 清水さんのトゥートの「そのくらいのこと」が指すものが具体的に、わたしがドキュメントで書いたバトラーの話なのだとしたら、むしろ清水さんがずっと「そのくらいのこと」を強く前提にして書かれてきた/話されてきたと読者や学生として思っていて、しかし今回のトゥートの内容は「そのくらいのこと」と両立しないように思われ、そのことがドキュメントを書く出発点になっています。
「女」への一元論はノンバイナリーの抹消では
自分が授業を受けている人が「女」への一元化によってフェミニズムの主体を「女」だとする発言をしていて、しかし、わたしにとってそれを表立って指摘することは全く「安全」ではなく………研究室の指導関係などでは全くないけれど、分野の権威として一定の認知を得ている人なので、正直なところ三浦俊彦のケースよりもしんどいかもしれない……
トランス差別反対の立場をとっている人の排除的な発想と結びつく語用を見たときのはなし
きょう人と会って、その人が買った反トランス差別ZINEを持ってきてくれていてうれしかったのですが、その後その人から「男性の体」という言葉が出てきて、頭が真っ白になってしまった……。三浦俊彦氏をシスジェンダーの男性として位置づける意図でなされていて、その人の中では排除的なものではなかったのだろうけれど……。わたしが修士のときいっしょに『ジェンダー・トラブル』の読書会をやっていた人でもあったし、その人自身はトランス差別に反対する立場をとっているのでショックだった。
反トランス差別ZINEはヘイトへのカウンターの側面が強いと自分では思っているのですが、差別全般に反対という枠組(インターセクショナルな視点を持つ上でこれは重要なのですが)の中でトランス差別に反対している人のなかにしかし排除的な発想が残っている……というケースにどうアプローチしていくかも考えていかねばな、と思いました。
>あらゆる差別の問題に共通して言えることだが、このように制度によって公然と差別が行われつづけている状況そのものが、差別の対象となる人たちへの潜在的な暴力である。
https://note.com/namitominatoto/n/nf71eaab32bf2
同性婚や性的少数者に対してここ数日公然と行われてきた差別についての怒りの日記です。
12月13日に総合法令出版より出た『世界最先端の研究が教える すごい哲学』に「二つでない性別を生きる人たちは性別をどう捉えているのか?」という題でDembroffの"Beyond Binary: Genderqueer as Critical Gender Kind"を紹介する文章を寄せました。おそらくビジネス教養として出版される本で、だからこそ、当事者の一人として、ノンバイノリーの人たちのことが知られるようこの文献を選びました。手に取っていただけると幸いです…!
現代の哲学が実践的な次元でどのようなトピックをカバーしうるのか、ということを見るうえでも非常に面白い本だと思います。どうぞよろしくお願いします🙇♀️
12月23日発売の「週刊読書人」年末回顧号のジェンダーの欄を担当しました。前年までの当欄と、それと取り上げる本を選ぶさなかにノンバイナリーの個人としてトランスのことを前提としている本の話をしたいと感じたことをかんがみて、トランスの生存可能性を切り開きうる本を6冊(+文庫化2冊)取り上げています。泣く泣く諦めた本もいくつかあるほどに2022年はトランスの生存可能性を切り開いてくれる本が出た1年でした。どうぞよろしくお願いします!
https://jinnet.dokushojin.com/products/3470-2022_12_23_pdf
バトラー、文芸 │ nonbinary(they/them)・asexual│ 文芸同人誌「花と青」 https://researchmap.jp/aomoto-yuzuki