トランス差別反対の立場をとっている人の排除的な発想と結びつく語用を見たときのはなし
きょう人と会って、その人が買った反トランス差別ZINEを持ってきてくれていてうれしかったのですが、その後その人から「男性の体」という言葉が出てきて、頭が真っ白になってしまった……。三浦俊彦氏をシスジェンダーの男性として位置づける意図でなされていて、その人の中では排除的なものではなかったのだろうけれど……。わたしが修士のときいっしょに『ジェンダー・トラブル』の読書会をやっていた人でもあったし、その人自身はトランス差別に反対する立場をとっているのでショックだった。
反トランス差別ZINEはヘイトへのカウンターの側面が強いと自分では思っているのですが、差別全般に反対という枠組(インターセクショナルな視点を持つ上でこれは重要なのですが)の中でトランス差別に反対している人のなかにしかし排除的な発想が残っている……というケースにどうアプローチしていくかも考えていかねばな、と思いました。