精神分析家候補生になるということはもう一度手厚いお世話を受けるということ。そのためにお金と時間を割くということ。お世話は組織に属する分析家に委託されるので個人的な契約とは異なる。お世話されると子供がえりしてあれが足りないこれが欲しいのにもらえないとか不満も出やすいけど精神分析家になるというのはそういう子供の自分が求めているものって本当は何なの?それは誰かが与えることができるものなの?それが手に入ったら本当に満足なの?足りないほしいもっともっとに応えてくれるかどうかを試してるだけじゃないの?自分がしたいことって本当は何?ということにぶち当たり続ける。そういう自分の相手をしてもらいつつ、自分も患者を持つことでこれからなるであろう精神分析家の体験もさせてもらえる、しかも個々のケースに別々のスーパーヴァイザーがつく。手厚い。システムとして非常に手厚い。分析家やスーパーヴァイジーにあれこれ思うのは自由だし相手を変えることはできるけれどシステムとしての保護機能を手厚いと思えるかどうかも需要なことだろう。