ジャニーズの話、当事者から聞いたことがある。ほぼBBCの記事内容と同じ話だ。ただ、彼の場合は前日に来て欲しいと話があったこと、親しい友人が既に"儀式“を済ませ、「ちゃんとクリームを塗ってくれるから痛くもないし、嫌なことはしない、優しい人だから大丈夫」というアドバイスを受けたという話が記事にはなかった話だ。
それももうかなり前の話。そしてその彼は痛くない、優しい、大丈夫、というアドバイスを受けはしたが、嫌で嫌で一晩考え抜いて誘いを断ったということだった。
それで干されたわけではない、と彼は言った。彼は考えた末に自分で退所を決断したのだ。だからあれを断ったらどうなるのかはわからないとも言った。その彼はその後アマチュアのバンドマンとして活動を続ける。
もちろん、売り出されて事務所の後押しがあったとしても、そこで光り、スターになっていく人たちは限られている。そこには厳然と才能の差がある。だから、その"儀式"を受けたからといって売れるわけでもなければ、断ったからといって売れないわけでもない。それは別の事実だ。
自分はそれを聞いた時、どう考えていいのか、どう受け止めていいのかわからなかった。
『1984年』に関してはストーリー自体は追わなくてもいいから、作中書物として登場する〈集産制寡頭主義の理論と実践〉の部分だけ読むのでもいいと思っている。ここに独裁構築とその維持の仕組みが書かれていて、その仕組みは現政権がやっていることだから。ちなみに現政権がそれを意図的にやっているかどうかは関係ない。無自覚だろうと「結果として」そうなっているのなら、当然「結果として」独裁が構築・維持されてしまうのだから。残念ながら馬鹿でも独裁は構築できるし維持できるが、その場合社会自体の崩壊もすぐにやってくる。
作品を批判的に見ることができない人は多い、というかそういう練習を(主に大学などの高等教育で)していないとできるわけもない、と思うので、日本のファンダムがアニメだろうとアイドルだろうとおかしなことになりがちなのは当然だとも思っている。いわゆる「批評」を知らないと、「好き(だけどここはおかしいと思う)」や「嫌い(だけどここは素晴らしいと思う)」という評価をできない、あるいはそんな評価方法があることを知らない状態にあるわけで、ゆえに全肯定か無関心になりがちなのだろう。そう、無関心なのだ。なぜなら「批判するのはよくない(みんななかよく)」が染みついているので、嫌いと宣言できない。そして「批判=嫌いということの表明」という勘違いもそこに絡んでくるため、いっそう作品を批判的に見ることができない人が増える。
昨年末から私がはちゃめちゃに加害受けまくったやつ、この投稿では「バックラッシュ」として扱われててほんまウケる(ウケない)ので見てください。
https://twitter.com/nosekuhara/status/1631590737203838977?s=46&t=CIRTHQ2a0dLehLiZux7aJg
もう決定打だろう。左派政党は全員一致団結して難民・移民労働者の保護を訴えるべきだ。自民党は「日本人の血統」に内心こだわっているから、少子化対策やらせても絶対にろくなことにならない。
様々な問題が(サンダマリさん事件より遙かに高い社会的反発を伴って)一気に噴出するだろうが、だからといって黙って滅びを受け入れたくはない。
「諦め」は可能性ある未来への処方箋であるべき。
今アメリカも学生ローンの免除について揉めに揉めていて、その中でもfairness/公平性が論点の1つになっている。
出産を軸に持ってくるのか、と驚いている。
少子化対策なのは分かるんだけど、ちょっとホントに異次元すぎる。
出産条件に奨学金の返済減免 教育費軽減で提言へ―自民調査会
一連のツリーすごい分かりやすかった。トランス差別の発言をする人たちがどれだけ現実離れしたことを言っているか。
差別的な人たちが想像している「トランス女性と偽って男性の身体をもって女性スペースに入ってくるひと」それはもう架空の脅威だよね。全てのトランスジェンダーの存在を否定して踏みつけて、それで男性犯罪が減る/防げると本当に思ってるの?
差別に傾いてしまいそうな人、既にそうなってしまった人にどう伝えたらいいか自分なりの言葉で伝えたい。
https://twitter.com/usamimn/status/1630295863628283904?s=46&t=H9Z_6AudNSD2BeYzfb-Dbw
創作って構成を考えてる時間が一番大変なんだ。調べて勉強して、アイデアたくさん出して推敲に推敲を重ねてやっと着手できる。
映画ちひろさん見た。見た直後は、心があったかくなっていい映画だったなあくらいの感想だったのだが「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」の言葉と共に映画に批判的な感想をみかけて衝撃を受けた。恥ずかしながら初めてその言葉を知って、調べて、過去作品にそういった記号的なキャラクターがたくさんいたことにもビックリした。あまりに「ちひろさん」過ぎている。寒気がした。
原作と前日譚にあたる作品を学生の頃読んで、当時は(家族であっても理解し合えないこと、それを悲観しなくていい)みたいな価値観に触れてすごく救われた記憶がある。
今は、作品が持つ違和感を何が問題であるか認識できていなかったことにも怖くなっている。セックスワーカーの問題も、男性/女性の構造的な差別の問題もなんら解消できてない現代で、Netflixちひろさんはあまりにも(足りない)ように感じる。
まあ、1980年前後というのはまだ兵役で現役だった人も仕事の現役で、世論も護憲、漫画家も実体験として戦時がベースにある人のほうが多かったから色々と描いてたけど(中国残留孤児だって80年代の問題だし)、やっぱり殆ど被害体験なんだよね。日帝の加害性や戦争責任に言及したのは数えるくらいしかないと思う。まあはだしのゲンの特異なとこでもある。あと水木しげるの一部と石坂啓くらい?しか覚えがない。
漫画だから当然子供向けが主体なわけで、どうしたって子供の話になれば被害体験しかなくなるしねえ。小国民世代自身が沖縄を除けばほぼ戦地の体験がないから(満州なども引き上げの記憶で語られがち)刷り込まれてきた「美化された日本軍」を描きがちになるよねという。
保坂正康が指摘してたけれど、戦後の回顧録の類い、初期は参謀や司令官の回顧録ばっかりで昭和50年代から徐々に兵下士官の回想録や証言が出てくるようになるらしい。皆行社の南京調査はでかかったのかもしれない。共有できる機会が結構限られてきた(たぶん米の意志も含めて意図的にという背景がありそう)。
The1975のMattyの件、彼が(不快にさせてごめんね的に)謝罪しないくらいには誠実だ。ということに過去のインタビュー記事やメディアでの発言を見返しながら改めて気づいた。
よく考えたんだけど、やっぱり来日公演には行こうと思う。The1975ファンである私がすべきなのは、彼の発言がどういった文脈で出てきたのかそして彼の属性からバックボーンを辿って日本にいては知り得なかったことを学ぶことだと思う。簡単に自分の中でキャンセルするんじゃなくて。
最近は「口に出す」ことの取り返しのつかない途方もなさをよく考える。彼の言ったことはとんでもなくショックだったし許せない。それも含めて1ファンとして何か糧にできたらいいな。
イラストレーターの懇親会に参加したんだけど、話題はフリーランサーにとってホットなトピック「インボイス」について。私も多少は学んでいたので会話についていけないってことはなかったんだけど、思ってたよりみんな冷静でちょっと驚いた。「クライアントとの兼ね合いで登録する予定だ」とか「もう少し様子を見るつもりだ」とか。
なんか...みんな、多分フリーランスとしてずっと続けていける人達なんだな...と私は寂しくなってしまった。私は不安しかないし、正直インボイスをきちんと理解することもできずに巻き込まれて逃げられなくなっていくんだろうなって思う。お上にきちんと抗議して、現実も見つつ生き続ける準備もして、そして仕事もする。何でそんなにみんな器用なんだよォ🥺
Born in 2000. Based in Nagoya,Japan. Queer